フランス・フットボール通信BACK NUMBER
ヘルタとウニオンがついに対戦。
悲願を叶えたベルリン・ダービー。
text by
パトリック・ソウデン&アレクシス・メヌーゲPatrick Sowden et Alexis Menuge
photograph byThomas Wattenberg/picture-alliance/Presse sports
posted2019/12/23 11:00
1990年にベルリンのオリンピアシュタディオンで開催された、壁崩壊後では初となるベルリン・ダービーの入場シーン。
「ヘルタとウニオンはひとつの国」
壁が崩壊する以前も、ウニオンのサポーターはヘルタをサポートし続けた。
とりわけヘルタが東欧圏で試合をする際には応援に駆けつけて、「ヘルタとウニオンはひとつの国」と書かれたバナーをスタンドに掲げた。それはテレビ中継で東ドイツ国内外に映し出され、すべての反体制的な行為を禁じていた東ドイツ当局にとっては悪夢ともいえる光景だった。
「シュタージの愚かな豚になるよりは、敗者となることを選ぼう」という彼らの叫びや壁の崩壊を求める声は、マイクのスイッチを切ることでかろうじて視聴者に伝わるのを妨げられた。
ウニオンは東ドイツ政府の喉元に刺さった棘だったが、政府はある程度の寛容さを持ってその存在を容認していたのだった。
プレミアリーグは魂を資本家に売り渡した。
壁の崩壊後もウニオンは資本主義化の道を突き進み、自らのアイデンティティを深めていった。それはニナ・ハーゲンの歌(『アイゼルン・ウニオン』=鉄のウニオンの意)によっても称えられた。
「誰からも愛されたクラブだ」と、ハーディー・グリュネは言う。
「ファンはクラブのために心から祈りを捧げ、財政的・物質的サポートを惜しまない」
彼らはスタジアムの周壁の修理のために腕まくりして労働に勤しみ、クラブの金庫が空になった際には身を切るようにしてためた金を基金として提供したのだった。
ワールドカップの際には、家族が一団となってスタジアムのスタンドでドイツ代表を応援し、クリスマスには大勢が集って歌を歌う。すべては今日に至るまで続く伝統である。
誰もがウニオンをクールで素晴らしいと思っている。
そう思う人々の中には、プレミアリーグがその魂を資本家に売り渡してしまったと感じているイングランド人たちも混じっていた。イングランドの地で、彼らはウニオンのサイトをインターネットに開設し、試合になるとスタジアムでビールを飲みながら騒ぐのだった。