フランス・フットボール通信BACK NUMBER
ヘルタとウニオンがついに対戦。
悲願を叶えたベルリン・ダービー。
posted2019/12/23 11:00
text by
パトリック・ソウデン&アレクシス・メヌーゲPatrick Sowden et Alexis Menuge
photograph by
Thomas Wattenberg/picture-alliance/Presse sports
今年11月9日、ドイツではベルリンの壁崩壊から30周年を迎えた。それに先立つこと1週間、ベルリンに本拠を置くふたつのクラブ、ウニオン・ベルリンとヘルタ・ベルリンのダービーマッチが行われた(結果は1対0でウニオンの勝利)。ブンデスリーガでは、実に1977年以来となるベルリンダービーであり、東西両ドイツ統合後ではもちろん初めてのリーグ戦でのダービーであった。
ベルリンは、世界に類を見ない街である。東西冷戦の結果、ふたつに分断された国はドイツ以外にもあった(ベトナムと朝鮮など)が、首都がふたつに分断されたのは唯一ベルリンのみであった。
特異な街で、サッカーもまた特異に発展した。その現在に至るまでの姿を、『フランス・フットボール』誌10月29日号でパトリック・ソウデン、アレクシス・メヌージュ両記者がレポートしている。
監修:田村修一
政治と歴史に翻弄されたベルリン・ダービー。
11月9日の土曜日、両者の歴史は再び混じりあう。名門ヘルタと、この夏に初めてブンデスリーガ昇格を果たしたウニオンが対戦した。このダービーの1週間前……ドイツは1974年にヘルタとテニス・ボルシアの間で行われた最初のベルリンダービーと、ベルリンの壁崩壊30周年を祝っていた。
とはいえブンデスリーガは、壁崩壊とウニオンの昇格というふたつの出来事は偶然の一致であるという構えである。ダービーの当事者であるウニオンも、スポーツと政治を混同するつもりはなかった。
「取り立てて特別なイベントは用意していない」と、ウニオンのコミュニケーションディレクターを務めるクリスチャン・アルベイトは言う。
「プライムタイムに放映され、ヨーロッパのみならず世界中が注目する試合――アメリカからも多くのジャーナリストが取材を申し込んでいる――で勝利を得ることだけに集中している」
表面上は冷静を装っている。しかし父親に連れられ12歳のとき(1986年)からアルテ・フェルステライ(ウニオンのスタジアム)に通っているアルベイトにとっても、勝ち点3を賭けた試合以上の重みがこのダービーにはあった。
ベルリンサッカーにとって大きな栄誉であり、誰もがベルリンを祝福する。
それが30年目のダービーであった。