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パラ水泳・成田真由美。現役を続ける
理由と東京2020への思いを修造に語る。

posted2019/11/11 07:00

 
パラ水泳・成田真由美。現役を続ける理由と東京2020への思いを修造に語る。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事でもあり、現役選手でもある成田真由美。

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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Yuki Suenaga

 松岡修造がパラアスリートと真剣に向き合い、その人生を深く掘り下げていく「松岡修造のパラリンピック一直線!」。第七回のゲストはパラ水泳の成田真由美さん。

 1994年、23歳のときに水泳と出会い才能を開花させる。ところがそんな時、居眠り運転が原因の追突事故に遭い頸椎を損傷。5カ月間の入院を余儀なくされる。

 退院後は横浜サクラスイミングスクールで練習を開始し、めきめきと上達。ついには'96年アトランタパラリンピックへの出場を果たし、金メダル2個、銀メダル2個、銅メダル1個を獲得した。

「選手だからこそ送れるメッセージがある」

松岡「失礼だけど、言いますよ。もう、十分やり切ったと僕は感じています。今、東京大会組織委員会の理事の1人として運営にも関わっていらっしゃる。色んなことができる立場なんだから、そちら側にシフトということは考えたことがないのでしょうか」

成田「でも、選手だからこそ送れるメッセージがありますよね」

松岡「確かにあります。でもこれからますます理事として忙しくなって、練習に時間を注ぐことが難しくなってくるかもしれません」

成田「それでも練習をする時間は確保します。昼間に組織委員会の仕事が入ったら、夜に練習する。これまでもそうしてきたので」

松岡「最大の目標は何ですか。以前は『メダル獲得』が目標と」

成田「今はクラスが変わった(パラ水泳は障がいの種類や程度によって1~14まで細かくクラス分けされている)ので、メダルは難しいですね。世界のレベルも相当上がっています」

松岡「確か北京大会の直前にクラスが変わったんですね」

成田「それまで私はS4というクラスだったんですけど、北京に行ってからクラス分けテストを受けることになって、S5(数字が小さければ小さいほど障がいの程度は重く、S5クラスは身体機能が50~60%失われた状態である)の判定が出たんです。以前と比べて障がいの状態は改善したわけでもなく、何も変わっていないので、『なんで』とは思いましたけど」

松岡「急に環境が変わって、それを受け入れないといけない。北京大会は相当きつかったですね」

成田「大会本番直前に言われましたからね。監督はもう『棄権しても良いよ』と言って下さったんですけど、日の丸を背負って北京まで来て棄権するわけにはいかないなって」

松岡「ちょっと待って。北京入りしてからって今、言われましたか」

【次ページ】 「すぐに抗議してくれたんですけど……」

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