野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
“ZOZOマリン最強の売り子”なな。
これは、もう1つのペナントの物語。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byYuki Suenaga
posted2019/11/07 19:00
広いZOZOマリンを、樽を背負ってひとり歩く。それはもはや徳川家康「重荷を負うて遠き道を行くがごとし」の境地。
重度のマリーンズファンがプラスに。
ZOZOマリンは大都会の球場と違い、樽買いをするようなお客さんはほとんどいない。だから、一杯一杯を大事に地道に売っていくことが一番の近道だった。
やがて、日を追うごとにスタンドに知った顔が増えていくと、それに比例するように杯数の売り上げも伸びて行く。幸運だったのは、なながマリーンズの重度なファンであったことだ。
趣味の野球観戦は、規定により売り子がマリンでの試合観戦が禁じられていたため、ニ軍の浦和や鎌ヶ谷に頻繁に出掛けていた。しばらくすると「昼にニ軍球場で見かけた子だよね」とZOZOマリンのスタンドで声を掛けられるようになり、さらには“ニ軍の若手情報”や対戦相手となるビジター側の情報という大きな武器を自然に手に入れることになる。
6月が終わり同じ2年目の新鋭、氷結使いのあやかさん(2年目/キリンビール)が会話を大切にした接客スタイルで2284杯を売り上げ、ベテラン以外ではじめての頭を獲った。ななは378杯差で4位。大丈夫。方向性は間違えていない。
「だんだん、ビジターのお客さんの傾向がわかってきたこともあります。一番飲むのはやっぱりソフトバンクで、西武も楽天も飲む人が多いです。日ハムはサッポロさんが強いです。あんまり飲まないのはオリックスでしょうか。
マリーンズのお客さんにも知った顔が随分と増えてきましたし、ZOZOマリンに来た他球場の売り子さんにも『お姉さん、雰囲気いいね』と言ってもらったり、嬉しいことが増えてきました」
順風満帆と思われた7月。首位を獲ったのはりかさん(3年目/サッポロビール)だった。ななは、首位どころかランキングから姿を消していた。
「休んでしまったんです。それまでの連戦で疲労が溜まっていたんでしょうね。夏の暑さで体調を崩してしまいました。このペナントレースは1試合でも休んでしまえば、もうランキングには入れません。体力勝負ですから、体調管理は本当に重要なんだと改めて思い知らされました」
背中に18.5kgの樽を背負いながら毎日平均5〜6時間球場の中を歩き回る。屈んだ膝は黒く汚れ、衣服は汗でぐっしょり。
冷夏と言われた7月前半の寒さと、梅雨明けの本格的な暑さの寒暖差もあったのだろう。7月を失ったことでいよいよ後がなくなった、なな売り子SOS。反撃の時がはじまる。
8月、念願の1位。そして決勝リーグ。
8月。
最終月。泣いても笑ってもこの月で1位を取れなければ決勝リーグには進めない。ななは初めて「勝ちたい」と願った。一年で最も熱いこの季節。きらめく風が走り、太陽が燃える。7月の教訓を得て体調管理は万全を期しても体力は容赦なく奪われていく。ある試合では、疲労で意識が遠のき、階段を踏み外したこともあった。樽を支える肩のベルトが掛かる箇所は、可哀相なぐらいの青アザになって今も残っている。
「元気ないな、休んだ方がいいんじゃないか?」
バックヤードで樽交換をしていると、宗方コーチ似(推定)のチェッカーさんが心配そうに声を掛けてくる。
「やります。やらせてください!」
ななは笑顔を絶やさずスタンドの中を懸命に動き続けた。
8月31日。すべての戦いが終了し、結果が出た。ななは念願の1位になった。
「おめでとう」
アサヒビールの先輩たちが口々にななを祝福してくれた。
だが、よろこぶ間もなくすぐに決勝リーグがはじまる。各月のチャンピオン5名による決戦。マリンでのゲームは9試合。シーズン初めには夢にも思わなかった場に自分が名を連ねていることが信じられなかった。
「決勝はすごい先輩たちに囲まれていたので、1日でも気を抜いたら、絶対に歯が立たないという思いがあったのでとにかく必死でした」