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“ZOZOマリン最強の売り子”なな。
これは、もう1つのペナントの物語。 

text by

村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

PROFILE

photograph byYuki Suenaga

posted2019/11/07 19:00

“ZOZOマリン最強の売り子”なな。これは、もう1つのペナントの物語。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

広いZOZOマリンを、樽を背負ってひとり歩く。それはもはや徳川家康「重荷を負うて遠き道を行くがごとし」の境地。

中間発表、75杯差の1位。

 プロ野球も売り子も、ペナントはフタを開けてみなければわからない。日本一のホークスにマリーンズが17勝することもあれば、完全ノーマークの女の子がトップに立ってしまう事もある。

 9月6日。決勝リーグの中間発表、1位にはななの名前があった。

「途中経過をみて驚きました。確かに9月になってからはコンスタントに200杯を越え、300杯に届く日も出てきました。うん。でも、表にはリリースされていないんですけど、ここからすぐに2位に落ちるんです。サッポロビールのりかさんが1位になって、一時は100杯ぐらいの差が開いていました。だから最後まで気が安まらなくて……最終決戦の9月23日、24日は緊張でずっとおなかが痛かったです」

 9月23日、福浦和也の引退試合。スタンドが超満員に膨れ上がるこのメモリアルゲームでななは自己最多の370杯を更新すると、翌最終戦の24日を前に最終の途中経過が発表される。

 3234杯。それは再びトップに返り咲いた証だった。しかし2位のりかさんとはわずか75杯差。気を抜けば1日で逆転されてしまう僅差だった。

最後の最後に笑顔を押し殺した。

 9月24日のパ・リーグ最終戦。

 千葉ロッテvs.埼玉西武の試合は、西武が勝てば優勝。ロッテが勝てばCS出場が決定するという互いに譲れない一戦。超満員の観衆で埋まったZOZOマリンのスタンドは、売り子ペナント最後の戦いの舞台としてこれ以上ない環境だった。

「この試合はマリーンズのCSがかかっていたので、私も同じ気持ちで戦っていました。スタンドにいると、みんなが声を掛けてくれるんですね。『いま1位なんでしょ、応援してるよ』、『今日で最後だろ、がんばれ』と、1年前には誰も知らなかったスタンドでした。でも、この1年で私に声を掛けてくれる常連さんがたくさんできていたんです。それが何よりも嬉しかった」

 この試合、マリーンズは序盤から大量失点し7回裏が終了して3−12。マリーンズが敗色濃厚のなか、売り子ペナントレースは終了を迎えた。バックへ戻りチェッカーさんに杯数の計算をお願いすると、結果が出るまでの30分の記憶はほとんどない。グラウンドでは優勝を決めたライオンズナインが辻監督を胴上げしているようだった。

 やがてくたくたになっているななの下に、関係者が小走りに駆け寄ってくると、上ずった声で耳打ちをした。

「おめでとう。ななさんが優勝です」

 その瞬間、飛びあがりそうになるよろこびの感情が沸き起こったが、ななはそれを必死に押し殺した。この待機場所にはアサヒビールだけでなく、サッポロビールやコカ・コーラの3社の人たちがいるのだ。

 しかも今日は最終戦。今季で売り子を引退する先輩たちもたくさんいる。その人たちが別れを惜しんでいる最中に、勝ったからといってひとり浮かれるわけにはいかない。

「ありがとうございました」

 1年間、笑顔であり続けたななは、最後の最後にグッと笑顔を押し殺し、湧き出て来る涙を噛み締めると、精一杯の感謝を小さな声で述べた。

【次ページ】 ハンデがなければ、1位は今井さやかだった。

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