野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
“ZOZOマリン最強の売り子”なな。
これは、もう1つのペナントの物語。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byYuki Suenaga
posted2019/11/07 19:00
広いZOZOマリンを、樽を背負ってひとり歩く。それはもはや徳川家康「重荷を負うて遠き道を行くがごとし」の境地。
「私は、あの人に勝ちたい」
決戦リーグは、いきなり女王・今井さやかがその力を見せつける。2日間で748杯を売り上げる貫禄のビール捌きは他の追随を許さない。9月に入ってからはななも1日200杯ペースとアベレージを伸ばしていたが、圧倒的な力の差を感じていた。
「私は、あの人に勝ちたい」
ななのそんな思いを、決勝リーグに進めなかったアサヒビールの仲間たちも後押ししてくれた。
「これはシーズン中からだったんですけど、“その日は、どのエリアが売れているか”という情報は売り子にとって欠かせない情報です。樽交換をしにバックヤードへ戻る時、『今日は4階が売れているよ』とか、『レフトにアサヒビールを待っているお客さんがいっぱいいるよ』とか、歩いてでしかわからない情報をみんなが教えてくれました」
マーティンのホームランが直撃。
CS争いも佳境となった9月11日のオリックス戦。3回にマーティンが放ったこの日2本目となるライトスタンドへのホームラン。滞空時間の長いアーチが落ちた先は、接客をしていたななのふくらはぎだった。
(https://baseball.yahoo.co.jp/npb/video/play/1919198/ 参考動画2分13秒)
完全に後ろを向いていたななは、突然襲われた激痛に何が起きたのかわからず混乱してしまう。歓喜していた周囲のマリーンズファンが、直撃した自分を心配そうに窺っている。あッ、いけない! せっかく楽しんでいる皆さんに心配を掛けてはいけない。
大丈夫? 医務室に行った方がいいよ。
なな、こんなところで挫けてどうするの!?
がんばれ、なな!
Yes、マーティン。
いろんな人たちの声が聞こえた気がした。何もなかった自分が開幕からひとつずつ積み上げて、やっとここまで来たんだ。こんなところでリタイアするわけにはいかなかった。
「大丈夫です! 行ってきます!」
ななは込み上げる涙をこらえながら必死で笑顔を作ると、再び戦線に戻り何事もなかったようにビールを売り続けた。
天才とは無心である――。
かつてのお蝶夫人の言葉を借りるのであれば、今のななは紛れもなく売り子の天才であった。
「アドレナリンが出ていたんでしょうね。復帰してからは痛みもなくなっていました。わたし、ドジだからいろいろケガもするんですけど、痛いなぁとか樽が重いなぁというものは、試合がはじまってしまえば不思議と感じなくなるんですね。この決勝リーグは尚更でした。気合いと根性です」