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柿沼利企、日本人ドリブラー、19歳。
スイス第3のクラブで成り上がる。 

text by

栗田シメイ

栗田シメイShimei Kurita

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photograph byFC Lugano

posted2019/10/14 09:00

柿沼利企、日本人ドリブラー、19歳。スイス第3のクラブで成り上がる。<Number Web> photograph by FC Lugano

FCルガーノに今夏移籍した柿沼。まずはU-21チームで出場時間をのばしていきたい。

仲間も呆れるドリブルへのこだわり。

 ヘタフェユースを退団後、スペイン3部のアルカラFCに移籍した柿沼だったが、昨季は必ずしも満足いくシーズンではなかった。両ウイングのポジションで起用され、ヘタフェと同様に「無条件に仕掛けてよい」と監督から特権を与えられた。

 だが試合中に右足の内側靭帯断裂という大怪我を負う。最大の強みであるドリブル突破は鳴りを潜め、脳内のイメージに体が思うようについてこない時期も経験したという。

 以前のような一瞬のキレで勝負できない現実に直面し、ドリブラーとしての自信は揺らいだ。だが、結果的にいえばこの怪我が柿沼をスイスへと導く契機となった。本人はこう振り返る。

「去年は50%くらいのコンディションで、自分の特徴が全く出せない時期が続きました。それまではボールを持てば必ずドリブルを仕掛けていて、チームメイトや監督からも『何で日本人のくせにそんなにドリブルばかりするんだ!』と呆れられていたくらいですから(笑)。それでも、当時は上に登り詰めるには“圧倒的な個が必要だ”と考えていたんです。

 ところが怪我の影響で、ボールをシンプルにはたく選択肢が生まれ、チームでの連携を意識するようになった。すると、面白いように相手DFを崩せるようになったんです。それが、緩急や戦術の大切さに気づいた瞬間でもありました。今はほぼ100%の状態でキレも戻りましたが、あの怪我でプレーヤーとしての幅が広がって、ルガーノからも評価を受けたと思いますね」

早くも街で声をかけられる選手に。

 2年間過ごしたスペインを離れて移り住んだルガーノは、ミラノまでわずか60kmという距離もあって、イタリア文化の影響が色濃い。

 人口6万人程度のこの町では、定食屋に入れば「ジャポネーゼ、頼むぞ」と声をかけられ、地元のスーパーでも「早く俺たちを楽しませてくれ」と激励を受けるという。

 休日になれば1時間ほど電車に揺られてミラノへと足を運び、感受性を豊かにすることも心掛けている。そんな生活の中でも最も柿沼を刺激するのは、チームメイトの上昇志向だという。

「チームには南米やアフリカ、北欧といった地域の出身者もいます。これらの国では、最初のヨーロッパ移籍にスイスを選ぶ選手が多くて、とにかくみんなギラギラしているんですよ。我が強い選手が多いこともあって、ルガーノのサッカーは、重要な局面では個人技に傾倒するとも感じています。

 ヨーロッパに来てから自分もメンタルは強くなったと思っていましたが、全然違いました。みんなミスしても、『何でこのパスが取れないんだ!』といった感じでミスをミスと思わないふてぶてしさがあるんです。

 来年の五輪に出るためにどんな結果を残すべきで、代表にたどり着くにはどんなキャリアを歩む必要があるのか。個々がそういう意識を持って練習しています。だから、僕もここでレギュラーを取り、ELの舞台で活躍して、逆転満塁ホームランで東京五輪への道を開いてやる、という発想を持てるようになりましたね」

【次ページ】 トップデビューの条件は。

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