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五輪ゴルフコースを管理する仕事。
ぺブルビーチの衝撃が人生を変えた。
 

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桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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photograph byYoichi Katsuragawa

posted2019/09/27 11:40

五輪ゴルフコースを管理する仕事。ぺブルビーチの衝撃が人生を変えた。<Number Web> photograph by Yoichi Katsuragawa

昨秋に霞ヶ関カンツリー倶楽部へやってきた東海林護さん。2016年に改修したコースのコンディションを日々見極めながら、本番の日を迎える。

ゴルフとの出会いはスキー場。

 日本有数のゴルフコースで現在、コース管理部部長・統轄グリーンキーパーという肩書を持つ東海林さんは学生時代、ゴルフとは無縁といえる生活を送ってきた。生まれは北海道札幌市。スキーやサッカーでならしたスポーツマンで、高校卒業後は体育の教職免許取得を目指して仙台大に進学した。ところが1990年代の終わりは“超”がつくほどの就職氷河期。ゴルフと出会ったのは、そんなときである。

 大卒後、就職浪人のため札幌に戻り、次の春を待つ間のアルバイト先に道内のスキーリゾートを選んだ。雪山のリフトやレンタルスキーグッズの管理、ジャンプ台やスノーボード場の圧雪作業などが当時の主な業務。スキー場がクローズになる夏場は、会社が複合施設として持っていた、聖火台近くのゴルフコースの管理がメーンの仕事になった。

 ゴルフ経験は大学時代に授業と遊びでやった程度。それが“芝いじり”をするうちに、不思議な魅力に惹かれるようになった。

「ほかの多くのスポーツは、そこにいる人々みんなが同じ空間を共有するけれど、ゴルフは4人が1組で、広い空間をまるで貸し切りみたいにプレーする。閉ざされた、贅沢な空間のよう。年配の方たちがすごく熱中していて、なにか特別なおもしろさがあるのではないかと思いました。それに全米オープンや全英オープンなどをテレビで観ると、解説の方が必ずゴルフ場の歴史などを話される。それも不思議でした」

ぺブルビーチGLのプライド。

 当時は最先端の教えなど知る由もなく、見よう見まねではじめた仕事。将来進むべき道を決めかねていたとき、決断の最後のきっかけになったのは、28歳のときに夫婦で出向いたアメリカ旅行だったという。風光明媚で知られる世界有数のゴルフ場、カリフォルニア州ペブルビーチゴルフリンクスを訪れた。

 大地が太平洋に突き出た美しい眺望もさることながら、ゴルフ場で受けた歓待に驚いた。出会った人々がみな、自分たちのコースに胸を張っている。

「現地の方に『きょうしか回れないなら、スコアカードなんかつけずに景色を見て回ったほうがいい』と言われて驚きました。ゴルフって、そんな楽しみもあるんだな……とカルチャーショックで。皆さんが『よかったね、うちでプレーできて』と言うから、なんか悔しくなっちゃって。私もそう言えるくらいになりたいと思いました」

 彼らの高いプライドに追いつくだけの仕事を、自分はしているだろうか。胸に渦巻く葛藤に突き動かされた。

【次ページ】 小樽CC、大利根CCで腕を磨く。

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