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中村匠吾は「天性の夏ランナー」。
MGC優勝を導いた1年前の完璧な準備。
posted2019/09/17 11:45
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
Takuya Sugiyama
9月15日に行われたMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)を制し、東京五輪男子マラソンの代表に内定した中村匠吾(富士通)。残り3キロで被っていた帽子を脱ぎ捨てると、そこから2度のスパートをかけてライバルを振り切り、2時間11分28秒で優勝した。
最後の上がり2.195kmを「6分18秒」で走り抜いた末脚はスピード感にあふれ、ラスト800mの坂で一瞬先頭に立たれた大迫傑を抜き返し、さらに突き放したシーンは、見ている者に強さを感じさせた。
「MGCに向けて練習をしてきた中で、決してすべてが順調という訳ではなかった。けれどもその中で、昨年のベルリンマラソンに出場したときと同じ流れで合宿と練習のパターンを組めたことは、ひとつ強みだったと思う」
中村は落ち着いた口調で、“成功”の背景を語った。
1年前のベルリンで、夏の調整を実験。
今回のMGCに向けた練習計画のひな形になったのは、昨年9月16日のベルリンマラソンだ。
初マラソンだった昨年3月のびわ湖毎日マラソンでMGC出場権を獲得した中村陣営は、「早く権利を勝ち取っている以上、1年前にシミュレーションを組もう」と作戦を練った。
MGCからちょうど1年前に行われるベルリンマラソンをターゲットとして、夏場の練習メニューや高地合宿のタイミングをシミュレーションした。
ベルリンのレース本番では、周りにペースメーカーも誰もいない状態でほぼ1人で走り切り、2時間8分16秒で4位という好成績。富士通の福嶋正監督も、「ベルリンで良いレースをしたことにより、高地合宿がすごく合っていることが分かった。今回のMGCに関しては去年成功したのとある程度同じパターンに落とし込むことができた」と振り返った。
とはいえ、すべてが順風満帆という訳ではなかった。5月に右腓骨、7月に左膝を相次いで負傷して、それぞれ約2週間練習をこなせなかったのだ。
特に7月22日からの10日間はジョグも一切なし。チームメートの荻野皓平、鈴木健吾とともに行っていた北海道・釧路での合宿を1人だけ切り上げて病院で検査を受けると、ヒザに炎症があった。