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中村匠吾は「天性の夏ランナー」。
MGC優勝を導いた1年前の完璧な準備。 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2019/09/17 11:45

中村匠吾は「天性の夏ランナー」。MGC優勝を導いた1年前の完璧な準備。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

五輪切符のかかる大舞台で、冷静な走りで優勝した中村匠吾。

高地に入った翌日から走れる体質。

 それでも、8月6日から予定していた米国パークシティーでの高地合宿でしっかりと練習をこなせれば、MGCに合わせられるという自信はあったようだ。パークシティーは昨夏にも行った勝手知ったる場所。

 卒業後も指導を仰いでいる駒大・大八木弘明監督こそ不在だったが、気心の知れたトレーナーや、三重・上野工業高校(現・伊賀白鳳高校)と駒大の後輩で、今春に富士通へ入社した下史典がトレーニングパートナーとして同行。宿も食事をつくってくれるスタッフも昨年と同じという環境で、質の高い練習を踏んでいった。

 高所トレーニングに対する適性もあった。普通なら酸素濃度の薄い空気になれるために数日の順応期間が必要だが、中村はすぐに順応できる体質で、「行った翌日からポイント練習をしても普通に走れる」(福嶋監督)。

今までにないほど体が軽い感覚。

 こうして、標高2100mのパークシティーで過ごした最後の10日間に一気に状態を上げていった中村は8月30日に帰国すると、すぐに標高1300mの菅平で準高地合宿を張り、9月8日に下山した。これもベルリンマラソン前と同じ流れだ。

 8日と翌9日はちょうど台風15号が千葉県を襲ったタイミングだったが、停電などの影響を受けたチームメイトもいる中で、中村は被災エリアではない場所にある自宅に戻っていたため、打撃を受けずに済んだ。

 こうして迎えたMGC本番。膝の負傷によって回避していた8月2日の試走の代わりに、レース前日の9月14日朝6時からラスト5kmの試走を行って最終準備を済ませていた中村は、今までにないほど体が軽いという感触を持ってスタート位置についた。

 唯一の不安は、ベルリン前に6、7回行った40キロ走を2、3回しかできていなかったこと。しかし、結果としてレース終盤まで体調は良いままだった。ケガによる強制的な休みで、うまい具合に疲労が抜けていたのだ。

【次ページ】 嘔吐しても、走りに影響はない。

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