野球善哉BACK NUMBER
新星扱いに苦しんだ甲子園経験者。
スーパー1年生という表現の危険さ。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byKyodo News
posted2019/07/19 07:00
酒田南時代、1年生で本塁打を放った美濃一平。彼も「スーパー1年生」という表現に悩み、苦しんだ。
「高校生は未熟。自覚がなくても意識する」
まだ精神的に不安定な部分も多い高校生にとって、報道のあり方というのは再考していくべきではないか。
彼1人の力ではないが、酒田南が甲子園に出場できたのは美濃がいたからであるのは間違いない。ただメディアから大きく取り上げられるようになり、時の人となった「美濃一平」は、自身のプレースタイルを高いところに設定され、それを意識させられることで正気を失った。
美濃はこうも話している。
「高校生は未熟です。だから『ドラフト1位候補』や『ドラフト候補』と言われると、本人はそれほどの選手だと自覚していなくても意識すると思います。でも、プロに行けるかどうかなんて100%ではないじゃないですか。高校生の話題を増長させる表現を使うのは疑問に思います。
たとえば『ドラフト候補』と騒いだ人たちは、その対象の選手がプロに行けなかったとして、声をかけてやるのか? 知らん顔じゃないですか。『〇〇選手は絶対にプロに行く』と記事を書いて、それが現実にならなかったとしても、書いた人が責任を取るわけでも、選手たちに声を掛けるわけでもない。責任を取らない大人がそうやって子どもの夢を勝手に大きくして、慢心させる環境は良くないと思う」
言葉の重みを理解して伝える。
彗星の如く現れるスターの誕生は喜ばしいことだ。伝える側として、ワクワクするような選手は少しでも知ってもらいたいと思う。
だが、書いている人間がどういうつもりで扱っているのか、その責任は負わなければいけないと思う。だからこそ“スーパー1年生”という言葉の重みを理解して伝えるべきではないか。
印象度の高いフレーズを使えば、原稿を書く上では楽ができる。物事を冷静に見る必要がなく、その表現がイメージを作ってくれるからだ。しかしメディアは、いやジャーナリストは本来、そうあるべきではない。