野球善哉BACK NUMBER
新星扱いに苦しんだ甲子園経験者。
スーパー1年生という表現の危険さ。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byKyodo News
posted2019/07/19 07:00
酒田南時代、1年生で本塁打を放った美濃一平。彼も「スーパー1年生」という表現に悩み、苦しんだ。
入学当初から“スーパー”だった中田翔。
この表現が恐ろしいのは、まだ入学したばかりの1年生に過剰なプレッシャーを与えてしまう危険があるからだ。
注目度が時に無茶な登板を呼び、あるいは、選手のプレースタイルまで大きく変えてしまう。注目を浴びることで適正な育成の階段を踏み外すことが少なくないのだ。
これまでの取材の中で忘れられない大会の1つに、2005年夏の甲子園がある。
駒大苫小牧(北海道)の連覇で幕を閉じた第87回大会の甲子園は、優勝投手となった田中将大(ヤンキース)とともに、中田翔(日本ハム)というスター選手を生み出している。
彼が高校野球の門を叩いた2005年は、入学当初から中田の評判で持ちきりだった。
大阪府大会を3年ぶりに制覇して甲子園に出場した当時の大阪桐蔭には、辻内崇伸(元巨人)、平田良介(中日)という投打の軸がいたが、中田はこの2人を凌駕する存在だった。甲子園の1回戦・春日部共栄戦では、乱調の辻内に代わって5回途中からマウンドに上がると、140キロ台のストレートを連発。相手打線を抑えて流れを呼びこんだ。打っても、試合終盤に勝ち越しのホームラン。中田はまさに“スーパー”な存在だった。
劇的な本塁打で注目を浴びた美濃一平。
ただ同じ大会に、中田以外にも注目を浴びた1年生がいたことを覚えているだろうか。
その代表格が、山形県代表・酒田南の美濃一平という選手だった。
美濃は入学してまもなくレギュラーの座を掴むと、県大会決勝戦では2本塁打。中でも2本目は9回1点ビハインドの展開から飛び出した起死回生の同点弾で、美濃は瞬く間にスター選手として騒がれるようになった。
甲子園1回戦の姫路工業戦でも本塁打を放った美濃は、中田らと並び称され「スーパー1年生」と呼ばれるようになった。