甲子園の風BACK NUMBER

プロも育てた新潟の70歳監督の夢。
「野球場をつくれば球児は来る」 

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田澤健一郎

田澤健一郎Kenichiro Tazawa

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photograph byKenichiro Tazawa

posted2019/07/10 11:15

プロも育てた新潟の70歳監督の夢。「野球場をつくれば球児は来る」<Number Web> photograph by Kenichiro Tazawa

自ら探しあて、整備をした七湊野球場で村上桜ヶ丘高校(新潟)を指導する松田忍監督。

まずは練習場探しから。

 狭い校庭しかない村上桜ヶ丘、まずは練習場探しである。地元をクルマで見て回ったり、友人知人に訊ねたり。そうやって見つけたのが荒れ果てた七湊野球場だった。

「グラウンドはデコボコだし、草はぼうぼう。夜になればクルマやバイク好きの若者のたまり場になっていたような状態で。ただ、草野球をやっていたこともあったみたいで、一応、バックネットはある。“これは使える!”と思いました」

 当時、七湊野球場を管理していたのは、現在は村上市と合併している旧・神林村。地元ということもあり、村の関係者には知己があった。早速、整備と使用を相談しにいくと、ちょうど村も荒れ果てている状況と対策を気にかけているようだった。すかさず、松田監督は「最低限の整備ならこれくらいでできますよ」と見積書を見せる。そんなこともあろうかと、あらかじめ「草を刈り、安い土でザッと平らにするだけ」の金額を調べていた。

 村は「こんな安い金額でできるのか」と驚き、整備が決定。もちろん、そこには「シバノウ(新発田農)の松田が地元で甲子園を目指す」ことへの期待もあっただろう。旧・神林村も含めた現在の村上市に甲子園出場校はない。既に過疎化がささやかれ始めていた頃。地元の高校の甲子園出場は街の活性化につながる。

 こうして整備が始まった七湊野球場。だが、まだ雑草がなくなり極端なデコボコがなくなった程度の状態。松田監督は「あとは自分の手で」と空いた時間を見つけては、自らトラクターで土をならし、コツコツと石を拾う。農家育ちの農業実習助手。土いじりは専門である。

先輩、後輩や教え子らも駆けつける。

 とはいえ、たった1人の作業。整備のスピードは牛歩のごとし。するとある日、「先生、何やってんだ?」と声をかけてくる人間がいた。道路工事関係の会社を経営する新発田農時代の後輩だった。事情を説明すると、「じゃあ1日しかできないけど、ボランティアで手伝うよ」と言ってくれた。

「まあ仕事もあるだろうから2、3人くらいで手伝ってくれるのかな、と思ったら、10人以上も連れてきてくれたんですよ。重機もいっぱいあるから作業がどんどん進んで。本当にありがたかったですねえ」

 後輩の好意の力は絶大、グラウンドの原型は1日で完成した。その後も「松田監督が野球場をつくっているらしい」という話を聞きつけた先輩、後輩、教え子らが様子見や手伝いにやってきた。もちろん松田監督自身も球場の設備に使える物はないか、廃材やゴミ捨て場に目を光らせる。

「照明も後輩が私のポケットマネーで買える、格安の金額で取り付けてくれた物。外野フェンスは捨てられようとしていた単管パイプと、ゴルフ練習場を経営する先輩からもらった使い古しのネットで作りました」

【次ページ】 プレハブ小屋、テント、ログハウス。

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