甲子園の風BACK NUMBER
プロも育てた新潟の70歳監督の夢。
「野球場をつくれば球児は来る」
posted2019/07/10 11:15
text by
田澤健一郎Kenichiro Tazawa
photograph by
Kenichiro Tazawa
「それをつくれば彼は来る」
とは名作野球映画『フィールド・オブ・ドリームス』の一節。その「天の声」を聞いた主人公は、自身のトウモロコシ畑をつぶして“それ”、野球場をつくる。すると、その小さな野球場に、50年以上前、失意のうちに球界を去ることになったシカゴ・ホワイトソックスの選手たちが現れ、さらには――。
「場」というものには、人間やドラマを呼び寄せる力がある。『フィールド・オブ・ドリームス』も、主人公が自らの手で野球場をつくったからこそ、伝説の選手たちが主人公の前に現れた。そんな映画を地で行くような高校野球の監督が、新潟県の最北部、山形県との県境に位置する村上市にいる。
「その頃はね、ここを元気のよすぎる若者たちが、クルマやバイクを走らせていたんですよ」
孫のような年齢の選手たちが練習しているグラウンドを見つめ、就任当初を思い返すのは、今年、春季新潟県大会でベスト4入りした村上桜ヶ丘高校を率いる松田忍監督。今年9月に70歳を迎えるベテラン指導者である。
甲子園を3度経験した名将の「夢」。
かつて同じ新潟の新発田農業高校の監督として甲子園に3度出場。教え子には加藤健(元巨人)、富樫和大(元日本ハム)とプロ野球に進んだ選手もいる。村上桜ヶ丘でも今季プロ初勝利を挙げたソフトバンクの長身右腕・椎野新を指導した。
松田監督が話すように、現在、村上桜ヶ丘の練習場となっている七湊野球場は、かつて荒れ果てた広場のような状態だった。それを1999年、村上桜ヶ丘に赴任した松田監督が、自らの手で整備を進め、現在の姿となった。
村上桜ヶ丘には、ルーツが女子校ということもあってか、野球ができる広さの校庭はない。甲子園も経験し、プロ野球選手も育てた監督が、まともに練習できる環境がない高校の野球部で指導を始めた理由。それは「夢」である。