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関根貴大、挫折の2年間と浦和帰還。
「僕、まだ、挑戦し続けますよ」 

text by

島崎英純

島崎英純Hidezumi Shimazaki

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photograph byGetty Images

posted2019/07/01 17:00

関根貴大、挫折の2年間と浦和帰還。「僕、まだ、挑戦し続けますよ」<Number Web> photograph by Getty Images

ドイツ、ベルギーの地で挫折を味わった関根貴大。しかしその眼はまだまだ死んでいない。

試合に出ないと課題すら見えない。

 2018年10月19日。2度目のリハビリを終えて全体練習に合流した直後に左ハムストリングを筋挫傷して全治6~8週間と診断された。これでベルギーでの生活で3度目の負傷になる。すでに心身ともに限界に達していた彼は、すぐさまクラブフロントに日本でのリハビリを直訴した。

 チームの一員として、このタイミングで一時帰国するのは躊躇われたが、このままでは立ち上がることさえできなくなる。すぐに日本行きのチケットを取って、しがみつくように飛行機へ乗り込んだ。

 それでも、故郷へ戻ると、頑なな心の殻が溶けていくのを感じた。

「僕、これまで自分のサッカー人生で試合に出られなかったことってなかったんです。22歳で海外に来るまで挫折したことがなかったんですよ。だから、試合に出られなくて落ち込む感情も分からなかった。プロになってからはプレー面で周囲にいろいろなことを言われたりもしたけど、それって本当に贅沢な悩みなんだなと思った。

 試合に出ていないと自分の課題すら見えない。そして、試合に出たらチャンスをモノにしなければならない。それに費やすパワーってとんでもないものなんです。過程の段階が多すぎて、途方もなく目標が遠くに見えた。でも、諦めたら光を失ってしまう。もがいた者にしかチャンスは訪れない。暗闇の中にひとり置かれる中で、そう思うようになった」

プレーオフの時期から立場が激変。

 ウインターブレイク開始直前にベルギーへ戻り、2019年1月上旬のリーグ再開へ向けて強化キャンプに参加した。3度ものケガに見舞われた身体が回復し、全体練習をこなせるようになってからはメンタル面でもかつての強靭さを取り戻せた感覚があった。ブライス監督からの評価は得られないままだったが、それは自分の特徴を表現できていないからだと己を戒めた。

「監督によって志向するサッカーは違うし、求められることも違う。好き嫌いもあるし、理不尽なこともたくさんある。でも、その中でプレーしていく精神力、判断力が問われる。人のせいにしている時点で自らの成長は止まるし、周囲の理解も得られないことを悟った。すべては自分次第。何かを変えるには、自らを変えることから初めなくてはならないんだって思った」

 2018-2019のシント・トロイデンはレギュラーシーズンでプレーオフ1参加を得られる6位以内に入れず、最下位チームを除いた下位9チームと2部の3チームを加えた計12チームが2組に分かれてリーグ戦を行うプレーオフ2へと回った。

 そして、この時期を境に関根の立場が激変する。プレーオフ2第2節KFCOベールスホット・ヴィルレイク戦、同第3節ウェステルロー戦で連続途中出場すると、同第4節のオーステンデ戦で移籍後2試合目の先発を果たした。

「先発して88分までプレーした。後半の終わりまでプレーしたのは浦和での最後のゲームになった甲府戦(2017年Jリーグ第21節)以来になるのかな? でも、プレー感覚はまだまだだと思った。縦に行ってもクロスを上げられなかったし、中央へカットインしてもシュートを打てなかった。本番のゲームで相手と対峙しないとプレーフィーリングは取り戻せない。練習では分からないことが多いなと、改めて感じた」

【次ページ】 鎌田との連係で鮮やかなゴール。

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