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関根貴大、挫折の2年間と浦和帰還。
「僕、まだ、挑戦し続けますよ」
text by
島崎英純Hidezumi Shimazaki
photograph byGetty Images
posted2019/07/01 17:00
ドイツ、ベルギーの地で挫折を味わった関根貴大。しかしその眼はまだまだ死んでいない。
「終わった」から3、4段階落ちた。
正月前後に日本に帰国したときには人と会うのが嫌だった。浦和の元チームメイトと会うのは特に気が重かった。移籍後に初めて再会したのは柏木陽介だったが、彼からは「戻ってくることは恥ずかしいことじゃない」と言われた。「試合に出てナンボでしょ」とも。
海外でのプレーは究極の夢。浦和で育ち、プロにまで登りつめた者が思いを遂げるには、それ相応の覚悟を備えねばならない。それが自身を送り出してくれたクラブ、仲間、サポーターへの唯一の恩返しになる。帰る場所はひとつ。でも、その前に、自分にはこの困難を克服する使命がある。へこたれてたまるか――。
苦境は続く。日本からドイツへ戻った2018年1月。取り巻く境遇は変わらなかった。監督に直訴すると「戦力として考えている」と言われる。それでも仲間のプレーを外から見つめることしかできなかった。アカデミー時代から浦和でのプロ生活を含めて、常にエリート街道を歩んできた彼が直面した初めての挫折だった。
「『終わった』と思ったところから3、4段階と落ちていった感覚。底だと思ったら、もっと深い穴があった。落ちて、落ちて、落ちて、それでも足がつかない。2017-18シーズンの最終節はすでにチームの2部残留が決まっていて消化試合だった。
試合前には『お前も残り15分で出す』と言われていた。力を表現する場を与えてくれるだけでいい。試合は前半で0-3の酷いゲームで、監督は後半開始から選手を2枚代えした。その後、味方センターバックがケガをして僕の出場機会がなくなった。
僕はこのチームにいるべきじゃないと思った。だから、ゲームが終わった瞬間に監督の下へ行って、『ありがとうございました』と言って別れを告げたんです」
ベルギーで味わった別の難しさ。
2018年7月、関根はベルギー・ジュピラーリーグのシント・トロイデンとレンタル移籍の契約を交わした。この1年が大事なんだと思った。ここで結果を残せなかったら、海外での挑戦は終わる。
チーム加入直後の練習試合で4アシストした。続く2度目の練習試合で先発し、少しだけ足を痛めたが、2、3日すれば癒えるだろうと思っていた。だが、結局3週間以上も練習に参加させてもらえず、シーズンが開幕した中でいきなり蚊帳の外に置かれた。
インゴルシュタットでの約半年間で公式戦に2試合しか出場できなかった事実が重くのしかかっていた。無理もない。関根貴大というプレーヤーは欧州で無名の存在でしかない。実績がなければ、新たなチームも判断材料が得られない。
「シント・トロイデンの(マーク・)ブライス監督は当初、僕のことをセンターポジションでプレーする選手だと思っていた。だから練習試合ではシャドーや2トップの一角などで起用されていた。当時の僕は特長を見失いかけていたんです。
日本ではワイドポジションからドリブルなどで仕掛けるタイプだったけど、ドイツで試合に出られなくなってからはボランチ、シャドーでプレーして、『それも自分の良さなのかな』と思っていた。たまに4-3-3のウイングでプレーしたときは相手を背負いながらプレーすることが多いうえに、サイドでもチャンスメイクが求められて、その新たな役割に戸惑っていた」
特長を見失い、周囲から評価を得られないことでストレスを溜めた。シント・トロイデンでは同僚に多くの日本人選手がいたことも、かえってプレッシャーを高めた。