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慶応医学部とラグビー部主将。
古田京が二兎を追って得たもの。

posted2019/06/28 17:00

 
慶応医学部とラグビー部主将。古田京が二兎を追って得たもの。<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

子供たちにラグビーを教える古田。医学部5年生となった今も、ラグビーとの付き合いは続いている。

text by

生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph by

Shigeki Yamamoto

 昨季の大学ラグビーシーンで、もっとも印象に残っている試合は、大学選手権準々決勝の早稲田対慶応の一戦だ。

 試合は慶応が19-15とリードし、残り時間はわずか30秒。ここで慶応が自陣でのマイボールスクラムを得た。

 秩父宮では歓声とため息が交錯した。

 慶応が勝った。

 誰もがそう思ったことだろう。

 このときプレス席にいた私は、早稲田のコーチングスタッフの近くに座っていたが、コーチのひとりが天を見上げたことを記憶している。観念した、という仕草だった。

劇的な幕切れ、印象的な主将の振る舞い。

 ところが、予想していなかったことが起きる。

 慶応がスクラムで反則を犯し、早稲田は九死に一生を得る。早稲田はそこから展開をし続け、トライを奪って逆転勝ち。

 慶応のシーズンは終わった。

 この試合が記憶に刻まれているのは、試合展開が劇的だっただけではなく、試合後の慶応の古田京主将の態度が印象的だったからでもある。

 到底受け入れることのできない負けだったにもかかわらず、古田主将は丁寧に、なおかつ悔しさを隠すことなく取材に応じてくれた。

 あれから半年が経った。

 慶応の金沢篤前ヘッドコーチ(現パナソニック・BKコーチ)に久しぶりに会うと、金沢氏はこんなことをつぶやいた。

「古田はいま、どんな思いなんですかね」

 そのひと言が気になって、古田前主将に話を聞きにいこうと思った。

【次ページ】 古田が目指した花園と医学部。

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