フランス・フットボール通信BACK NUMBER
ブラジル、最底辺の暮らしから……。
“サッカーの女王”マルタが語る成功譚。
text by
エリック・フロジオEric Frosio
photograph byJerome Prevost/L'Equipe
posted2019/06/13 07:30
北京五輪決勝でのマルタのプレーシーン。銀メダルに終わったが、その圧倒的なテクニックは観衆を魅了した。
「サッカーは男のスポーツだから止めなさい」
――そうした差別にどう向き合いましたか?
「当時の偏見は今日とは比べ物にならなかった。女の子にだってプレーする資格はあるのに、親は子供のために戦わなかった。
私は極端な男性社会の中に身を置いていて、しかも近所の誰もが顔見知りの小さな街に育ったからさらにややこしかった。道で知り合いに出会うと、母はよくこう言われたみたい。
『どうしてあの子にサッカーを止めさせないのか。サッカーは男のスポーツだから、ハンドボールをするように言うべきだ』
ってね。
ただ、母は仕事で手いっぱいで私をコントロールすることができなかったし、私は私で母の許可など得ずに勝手にプレーしていたから。子供心にも理不尽な運命を受け入れる気にはなれなかった。それに『神よ、どうしてあなたは使いようがないかもしれない才能を私に授けたのですか?』と、思わずにはいられなかったから。
何かがうまくいっていない。それは私が悪いのではなくて、人々のメンタリティに問題がある。そう思うようになって、そのパラダイムを転換させることが私の目的になった。
間違っているのは彼らの方で、私ではないと。神は耐えられないほど重い十字架を人に背負わせないでしょう」
生きるために、子供ながら何でもした。
――それではもうひとつの障害であった貧困はどう克服しましたか?
「父が母のもとを去ったのは私がまだ1歳のときだった。私は本当に最底辺の暮らしの中で育った。家族全員に食事が満足にいきわたることなどまずなくて、どうしたらこの暮らしから抜け出せるかを巡って、母と兄はいつも激しく口論していた。
私はといえば、自分にできることが何かあるとずっと考えていた。できることは何でもやった。アイスクリームを売ったり、市場でも働いた。荷物も運んだ。家族を助けるために、少しでも金になればと思っていたけれども、自分が最も優れているのはサッカーをプレーすることなんだとあるときに気づいた。
だから常に世に出ていく機会を得る望みを捨てなかったし、サッカーで人生を変えたいと願っていた。神のおかげでその機会を得て、私は障害を克服して成功することができた。悪くないでしょう」