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ブラジル、最底辺の暮らしから……。
“サッカーの女王”マルタが語る成功譚。 

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エリック・フロジオ

エリック・フロジオEric Frosio

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photograph byJerome Prevost/L'Equipe

posted2019/06/13 07:30

ブラジル、最底辺の暮らしから……。“サッカーの女王”マルタが語る成功譚。<Number Web> photograph by Jerome Prevost/L'Equipe

北京五輪決勝でのマルタのプレーシーン。銀メダルに終わったが、その圧倒的なテクニックは観衆を魅了した。

最初は、ずっと裸足でプレーしていた。

――最初にスパイクを履いたのはいつですか?

「フットサルのチームメイトだったベトの祖父から贈り物として貰ったのが最初だった。

 学校のリーグから排斥されて普通のサッカーをやるようになったけど、芝生でプレーするためのスパイクを持っていなかった。

 覚えているのは男の子たちが練習の準備をする間、ピッチの端に裸足で座っていたことだった。ベトの祖父が私のところにやって来てこう言った。『これを君にあげよう。贈り物だ』と。もの凄く嬉しくて、さっそく履いてみたら2サイズも大きかった。彼は私にこう尋ねた。『サイズは大丈夫かな。大きければ別のものに替えよう』。でも私は、彼がスパイクを持って行ったまま戻ってこないことを心配してこう答えた。『いえ、大丈夫。ピッタリよ』と。新聞紙をつま先に詰めて、サイズをこっそり合わせて履いて、それから本当にボロボロになるまでずっと履き続けたわ」

14歳。成功への第一歩。

――14歳のときリオでクラブチーム「バスコ・ダ・ガマ」のテストを受ける機会を得たのが、長い冒険の始まりでしたか?

「その話を聞いたとき、即座に『これに賭ける!』と叫んでいたわ。何の保証もなかったけど、少なくともチャンスは得た。車での移動は3日間続き、到着してからテストの知らせを受けるまでその地で1週間待った。でもテスト初日に女性ディレクターから『あなたはぜひ残って欲しいと思っている』と言われて本当に嬉しかった。それが成功への第一歩だった」

――わずか14歳でそんなチャレンジをしなければならないことに恐れはなかったですか?

「人生最大のチャンスと思っていたから、恐れはまったくなかった。ずっと望んでいたことだし、夢を実現するために必要なことでもあった。大都市に出て女子チームで毎日トレーニングを積む。それこそ私が当初から求めていたことだった。

 それにテレビでしか見たことがないリオという街にも大いに興味があった。あまり深くは考えなかったし、興奮して胸がいっぱいだった。車で旅した3日間はほとんど眠れなかった。通過した街をすべて記憶に留めようと、ずっと標識に目を凝らしていた。

 それは本当に素晴らしい経験で、私の人生を根底から変えたし、これから先の未来にも自信を与えてくれた。

 その後、17歳でブラジルを離れスウェーデンに行ったけど、そのときも少し似たような感じだった。アラゴアスからリオに出たのは、ヨーロッパに行く前に自信を得るための最初の一歩だった」

【次ページ】 テストの時、GKに顔面に当てて得点した。

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