“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「惜しかった」のか「完敗」なのか?
U-20W杯、影山ジャパンの最後の屈辱。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byFIFA via Getty Images
posted2019/06/05 17:30
韓国に負けた直後の日本代表の風景――U-20代表とはいえ、日韓戦という伝統の一戦に負けた衝撃は小さくない。
前半、徹底的に引いてきた韓国代表。
お互いがマイナス要素を抱える中で迎えた日韓戦。
U-20W杯では、2003年大会にラウンド16で激突して以来(この時は坂田大輔の2ゴールで2-1の勝利)、2度目の対戦となった。
この試合、日本はGK若原智哉、DF菅原由勢、小林友希、MF齊藤未月、山田康太の5人が4試合連続スタメンとなり、メキシコ戦2ゴールのFW宮代大聖、2アシストのMF藤本寛也。そして初戦スタメンだったMF郷家友太が怪我からスタメン復帰。エース格だった田川の代わりに長身FWとして郷家が2トップの一角に入り、2試合連続のスタメンとなった西川潤が右サイドハーフに入った。
韓国が日本に対して敷いてきた布陣は5-3-2。後ろを完全な5バックにして、その前に3ボランチ、前線に2トップを置くという極端な守備的布陣だった。5バックはラインを固定し、ボランチラインとともに2層のブロックを作ることで、日本の攻撃を人数をかけて弾き返す戦術を取っていた。
それに対し、日本は後ろから瀬古歩夢と小林のCB、ボランチの藤本が押し上げていき、ボールを頻繁に動かしながら韓国のブロックがずれるタイミングを模索するという戦術を取っていた。
高い位置を取る左サイドバックの鈴木冬一と右サイドバックの菅原から、早いタイミングでのクサビを打ち込んでいく。宮代と郷家が落としたボールに詰めていき、インサイドハーフ気味にポジションを取っていた右の西川と左の山田が、ボックス内にさらに仕掛けていく形を取っていたのだ。
作戦通りだが、決定機が作れず……。
7分、左サイドから右の菅原へ展開すると、菅原が早めのクロス。DFがクリアして得た右CKをファーサイドで小林が合わせ、宮代がゴールに迫るが……これは韓国DFが身体を張ってブロック。10分には、齊藤が左サイド自陣深くから大きくサイドチェンジし、それを西川が胸トラップしてカットインを仕掛けたが、再びDFに阻まれることとなった。
さらに15分、菅原が右からダイレクトでクサビのチャレンジパスを入れて、エリア深くに侵入。17分にも、齊藤からのボールを西川が早めにクサビとして打ち込んでいったが、宮代のところでわずかに合わなかった。
なかなか決定機を作り出せなかったが、全く前に出てこない韓国に対し、日本は相手をよく見ながらテンポよくボールをつなぎ、強固な壁を崩しにかかっていった。
ただ……試合全体としては押し込めていたのだが、決定的な形が作れなかった。
そうしているうちに時計の針は進み、徐々に韓国の戦い方に不気味さすら感じられるようになっていった。
確かに影山雅永監督がこのチームに植え付けてきた「常に相手の出方を見て、判断を変えられるサッカー」を実践できているし、その質は高い。だが、どうやってもいい形でボックス内に入ることができず、まったく枠内シュートまで持っていけない、という現実があった。