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平成28年、川崎宗則は野球を愛し、
成長する喜びを全身で感じていた。 

text by

石田雄太

石田雄太Yuta Ishida

PROFILE

photograph byMami Yamada

posted2019/04/20 12:00

平成28年、川崎宗則は野球を愛し、成長する喜びを全身で感じていた。<Number Web> photograph by Mami Yamada

川崎宗則という選手はメジャーリーグに、数字で表せないインパクトを残した。それだけは間違いのないことだ。

体が違うから、ではない。

 日本の球団からの誘いに応じれば今の10倍の年俸を手にしてもおかしくないのに、FA権を手にした川崎は、あえて茨の道を選んできた。そうまでして彼がアメリカにこだわる理由は、じつにシンプルだ。それは、日本では教わったことのない野球がアメリカにあったからだ。今まで知らなかった野球に出会い、勉強するうちに、もっともっと野球が上手くなりたくなった。川崎の中にあるのは、その一念だけだ。

 たとえば、アメリカにはこんなプレーがある。三遊間の深いところのボールを逆シングルで捕る。一塁へは下からのランニングスローで投げるか、あるいは体をひねりながらのジャンピングスローで投げる。そこで川崎は疑問を抱く。あんな投げ方でなぜあそこまで強いボールが投げられるのか。日本にいたときの川崎なら、『アイツらは肩が強いから』『体が違うから日本人にはムリだ』と思い込んで、諦めていた。

 しかし、そうではなかった。

 アメリカの野球がそのプレーを可能にするのは、肩の強さのせいでも体つきのせいでもない。いかに体を上手く使えるか。いかにそういう捕り方や投げ方が子どもの頃から体に染みついているか。その違いなのだということに川崎は気づいたのだ。

「メジャーの選手はリストが強いとか身体能力が違うとか、それ、違うよ。騙されたらイカンです。日本人は大きな勘違いをしています。メジャーから帰って来た先輩たちも言うもんね、『明らかに違う、無理だ』って……だからおれも最初はそう思ってた。でもやろうかなと思って1年経つと、100回のうち2回はできるようになる。もう1年経つと、50回のうち3回はできるようになるんです。ずっと日本の考え方でプレーしてきていきなりは変われないけど、5年かかって、やっとポコポコと脳みそが沸騰し始めた。今までの固定観念が崩れてきて、新しいプレーをするための脳みその改修作業がついに始まったんです」

日本ではしない練習がある。

 さらに日本では、強いボールを投げるには上から、ボールにスピンをかけて、タテ回転で、と教わる。しかし川崎は、下から投げても横から投げても、タテ回転のボールは投げられるのだと言った。

「日本では下から投げる練習はしない。タテ回転が大事だって教わります。でも、下にも横にも縦があって、どこからでもタテ回転のボールは投げられるってことを、おれはアメリカで覚えました。これは技術の一つとして、もうおれの辞書に書いてあります。何しろ、呪文を覚えるかのように何度も何度も脳みそに言い聞かせたからね」

 逆シングルでゴロを捕ったあと、日本ではグッと踏ん張って、力を入れて上から投げる。しかしアメリカでは逆シングルで捕ったあと、踏ん張る間もなく投げる。もちろん上からとは限らない。横からでも下からでも、ときに走りながら、あるいは飛び上がりながら、臨機応変に一塁へ投げる。しかも力を入れるのではなく、力を抜いたほうが強いボールが行くのだという。

【次ページ】 脳みそを騙して、力を抜く。

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