“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
鹿島の遺伝子が染み付いた21歳。
町田浩樹が追う昌子・植田の背中。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2019/03/05 08:00
昌子源、植田直通が海外へと旅立った鹿島。その中で町田浩樹はどのような成長曲線を描けるか。
小笠原から「もっと喋れ」。
彼らをはじめとした鹿島関係者が町田に対して指摘し続けているのは、前述した「優しすぎる」性格である。
「強化部の方、大岩(剛)監督、(中田)浩二さん、満男さん、源さんにも言われていた。監督からは『CBはどっしり構えろ。それはプレーもそうだし、態度、雰囲気もそう。これからどんどん出していけ』と、満男さんからは『もっと喋れ』、『ラインの統率だったり、ボランチのポジショニングはもっと細かく言い続けろ。お前がもっとやりたいように周りを動かせ』と言われていました。源さんには『相手がうるせえよ、と言うまで声を出せ』と言われていました。
その言葉は今、僕の中で大きなものになっています。使命感と責任感は自然と大きくなりましたし、『やらなければいけない』という意識が出ると、自然と声が出るようになってきました。もっと自信を持って出していこうと思っています。そうしないと本物の信頼を掴めませんから」
源さん、植田くんの姿を見て。
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今はポジションを奪ったわけではなく、与えられているに過ぎない。鹿島のCBたるもの、気を抜いたプレーは一切許されない。すべてを理解している町田の脳裏には、数年前に世代交代で苦しんでいた昌子と植田の姿が焼きついている。
「僕はちょうどユースの選手として、鹿島の試合を見ていました。少し低迷していた時期でもあったので、『もっと勝たないといけないのにな』とファン目線で見ていた。
あの2人は今でこそ日本代表ですが、あの頃の源さんと植田くんのコンビは、岩政さんや大岩監督の時から試合を見てきた僕から見ても、まだ見劣りしているのかなと思うことはありました。でも、そこから物凄く成長した姿も見ています。それが本当に良いお手本になっています」
外野として見ていた風景の中で、いまでは町田自身が当事者になっている。
「源さんと植田くんは、試合を重ねるごとに良くなった。代表にも選ばれて、W杯を経験して、海外に羽ばたいた。その姿を見たから自分がそうなったとき、『自分にもできる』という自信、そして『やらないといけない』という使命感と責任感が強くなっています。その変遷を直接見られたことは大きな財産だと思いますし、幸運です」
アントラーズスピリット、アントラーズCBとしてのスピリットは着実に21歳の男に継承されている。それは断言できる。