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「みんな(原晋)監督のことも信用できなくなって…」16年前の箱根駅伝…青学大“33年ぶりの復活出場”のウラにあった「チーム崩壊の危機」
posted2025/01/13 11:02
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph by
(L)AFLO、(R)Sankei Shimbun
青学大の8回目となる総合優勝で幕を閉じた101回目の箱根駅伝。もはや“令和の常勝軍団”となった同大だが、その活躍は2009年に原晋監督がチームを33年ぶりの箱根路に導いたことからはじまった。結果こそ完走チーム中最下位の22位だったが、この時、確かにフレッシュグリーンの新たな一歩が印された。その大金星のウラには、一体どんな秘話があったのだろうか。《全2回の1回目/つづきを読む》(初出:Number 992号/2019年12月12日発売 肩書などはすべて当時)
まるで優勝したかのようなゴールシーンだった。2009年の箱根駅伝。33年ぶりに出場した青山学院大学のアンカー宇野純也は、フィニッシュテープの向こう側に待つ仲間の姿を認めると、誇らしげに10人の汗が染み込んだ襷を握りしめた。
「都心に向かって走っていくので、どんどん応援も増えてくるんです。他の駅伝とは比べものにならないぐらい沿道の人がすごくて、気持ちよく走れました」
走者が笑顔なら、アンカーを待つチームメイトも笑顔。宇野は両手を高々と突き上げてテープを切った。
22位のゴールでも…「気分は優勝でした」
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この大会は23チーム参加で青学大は22位。途中棄権の城西大学を除くと完走チーム中最下位という結果だった。だが、この場面だけを見ると、最下位チームのゴールシーンとはにわかに信じがたいだろう。
「みんなで最後は楽しく笑ってゴールしようと決めていたんですけど、称賛と批判が半分半分でしたね。奥さん(原晋監督夫人の美穂さん)からは『笑っている暇があったら走れ』と突っ込まれたし、いまだに『お前は優勝したのか』って言われます。気分は優勝でしたって言い返しますが(笑)」
当人の宇野は、当時をこう懐かしむ。