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おやじ市民ランナーの挑戦。
「東京マラソンでサブスリー」への道。 

text by

柳橋閑

柳橋閑Kan Yanagibashi

PROFILE

photograph byHiroki Ban

posted2018/12/30 07:30

おやじ市民ランナーの挑戦。「東京マラソンでサブスリー」への道。<Number Web> photograph by Hiroki Ban

東京マラソンでのサブスリー達成に向けて、11月に練習を開始したサブ3.5ライター。

村上春樹さんとの出会いで目覚める!

 少年時代の中心的課題はプラモデルづくりとゲーム。基本的にインドア派のオタクだったが、なぜか自転車に乗るのは好きで、ブリヂストン・ロードマンであちこちサイクリングして回っていた。ときどき父親といっしょに玉川上水の遊歩道をのんびりジョギングすることもあった。いま思えば、みんなのように速く走ることができないだけで、体を動かすことは嫌いじゃなかったんだと思う。

 浪人して、予備校まで毎日自転車で通うようになると、体重がみるみる落ちていき、有酸素運動の気持ちよさに目覚めた。大学時代はF1ブームのまっただ中だったこともあり、レーシングカートに夢中になった。そのトレーニングの一環で習慣的にジョギングをするようになったが、一回に走る距離はせいぜい4~5km。マラソンを走ろうなんて考えたこともなかった。

 社会人になり、Number編集部に入ると、運動する時間はめっきり減った。深夜のサッカー中継を見ながら夜食をもぐもぐ食べ続けた結果、体重は10kg増。ときどき思いだしたようにジョギングをすると、すぐに息があがるようになった。

 転機になったのは、2000年のシドニー五輪だ。作家の村上春樹さんがオリンピックを取材することになり、編集者として同行することになったのである。春樹さんは、ボストンマラソンやニューヨークシティマラソンを走ったこともあるランナーであり、当時トライアスロンにも取り組み始めていた。そこで、一年前からマラソンとトライアスロンの選手たちの合宿地を訪ね、練習の様子を取材することになった。

 取材の合間に自らも走り続ける春樹さんを見ているうちに、いちど自分もフルマラソンを体験してみたいという気持ちがむくむくと湧き上がってきた。そこで、マラソンをやっていた友だちに大会のエントリーの仕方から教わり(当時は雑誌『ランナーズ』に付いていた郵便振替用紙で申し込んでいた)、勝田全国マラソンに出場してみることにした。

15kmまでは「意外に走れる!」が……。

 オリンピック選手の取材はしていたものの、市民ランナーとしての練習法やペース感覚などはまったく分かっておらず、仕事の合間にジョギングをするだけの準備で出走することになった。それでも、序盤はレースの興奮とランナーズハイに乗って快調に走った。「あれ!? 意外に走れるじゃないか!」と思ったのは15kmまで。初心者の多くが陥るように、その後ガクンと失速し、ハーフ以降は膝に痛みも出て、歩いたり走ったりの繰り返しとなった。結局、6時間近くかかってゴール。その後、しばらくは脚の痛みで階段の上り下りにも苦労し、自分にはフルマラソンはとても無理だなと痛感した。

 その経験があっただけに、シドニーの沿道でオリンピック選手たちの走りを見たときは、「このスピードで42kmを走り続けるのか」とあらためて衝撃を受けた。

【次ページ】 東京マラソンが再びの契機に。

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