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おやじ市民ランナーの挑戦。
「東京マラソンでサブスリー」への道。
posted2018/12/30 07:30
text by
柳橋閑Kan Yanagibashi
photograph by
Hiroki Ban
例年、晴れることが多い湘南国際マラソンだが、今年はほとんど太陽が顔を見せず、寒い一日となった。スタートを待つ間は冷たい風に鳥肌が立った。でも、走りだしてしまえば気にならない。気温の低さはむしろ好都合だ。
入りの1kmのラップは4分51秒。そこからすぐに4分20秒台に入れて、25秒前後を目安にペースをコントロールする。しかし、湘南のコースは緩やかな上りと下りを繰り返しているため、ラップにバラツキが出る。あまり数字に神経質にならないように、“馬なり”ならぬ“脚なり”で走るように心がける。
4分25秒というペースにはひとつの根拠があった。前の週に走った5000mの記録会で、久しぶりに20分を切るタイムが出ていたのである。それをもとに「VDOT(V-dot-O2max/最大酸素摂取量)」などの持久力の指標を見て、5kmのスプリットタイムを22分、キロ4分25秒というペースを設定した。もし、そのままイーブンペースで走れたとしたら、自己ベストが出ることになる。だが、そう甘くはないことも分かっている。
何しろ、フルマラソンに出るのはもう49回目だ。レベルはさておき、経験だけは山ほど積んできた。ときには冷静から歓喜へと至るレースもあったが、期待が緊張に変わり、昂揚から失望に陥るレースのほうがはるかに多かった。そのぶん、酸いも甘いも噛み分け、何が起きても動じない心を保てるようにはなったと思う。
もうすこし前半のペースを抑えて、後半に上げていく走りをしたほうが結果も出るし、気持ちの面での満足感も高くなることは分かっていた。それでも、前半から積極的に行ったのは、自分の走力がいまどれぐらいあるのか、現状を確認したかったからだ。
子供の頃は肥満児だった……。
きっかけは、NumberDoの「いくつになっても走りたい! おっさんずラン」特集(10月18日発売)だった。企画を考える足しになればと、中年市民ランナーのひとりとして、自分のこれまでの経験をデスクに話したのである。
そもそも、子どものころの僕は肥満児で、徒競走はビリやブービーが指定席だった。中学のときは5km、高校のときは10kmのマラソン大会が年に一回あったのだが、その日は朝から憂鬱で仕方がなかった。「なんでこんな苦しいことをしなきゃいけないんだ?」と思いながら、白い体操着で多摩川の河川敷をちんたら走ったものである(なんで昔の体操着はあんなにかっこ悪かったのだろう?)。