フランス・フットボール通信BACK NUMBER
仏誌でハリルホジッチが独占告白。
ナント復活の手応えと日本の思い出。
text by
レミー・ラコンブRemy Lacombe
photograph byBernard Le Bars/L'Equipe
posted2018/12/04 17:00
フランスにおけるヴァイッド・ハリルホジッチの栄光は揺るぎない。ナントで再び指揮官としての栄光を掴めるか?
「日本という社会を私は大好きだった」
――66歳になった今もあなたを駆り立てるものは何でしょうか?
「私は勝つことが大好きだし選手を育てることもそうだ。金銭面だけならより条件のいいオファーはたくさんあった。情熱を掻き立てられるからこそ前へ進もうという気持ちになる。
いつか……練習の準備をしたくないと思うときが来たら、それが仕事を辞める潮時だろう」
――ここ10年は主に代表監督として仕事をして、日々ピッチに立つクラブで働くのは久しぶりではありませんか?
「だが日本でも毎日働いていた。週に20試合は見ていたからね。週末にはJリーグがあったし、深夜には各代表選手が所属するヨーロッパの試合をテレビで見ていた」
――日本での3年間は思い出深いですか?
「日本という社会を私は大好きだった。すべてが秩序だっており、社会の隅々まで配慮がゆきとどいたその姿は、ほとんど理想的と言えるものだった。
記憶にあるのは素晴らしい思い出ばかりだ。
それがあんな酷い形で終わったのは、ビジネスが(サッカーの中に)割り込んできたからだった。
とても嫌な思いもしたし、私は(田嶋幸三)会長を決して許せない。私が勝ち取るべきものを彼が奪ったからだ。そんなことはコートジボワールに続いて2度目の出来事だった。
だからこの夏は、(この先の監督の仕事を)辞めることばかりを考えていた。オファーもすべて断っていたほどだ。とてもじゃないがその気になれなかったのでね。自分を偽りたくもなかったし」
コミュニケーションは得意じゃない。
――2005年2月にPSGを解任されてからナントに復帰するまで13年以上の時間が流れました。その間、フランスでは少し忘れられていたという印象はありますか?
「それもまた私のミスかも知れない。
コミュニケーションは私が得意とするところではなく、問題はヴァイッドというパーソナリティーが監督よりも重視されてしまったことだった。
私が得た結果や監督としての能力は無視され、信じられないことばかりが語られた。
独裁者であるとか、“キャンデロージュ(PSGの練習場)”を収容所のようにしてしまったとか……」