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兄の背中を追い、その夢を継ぐ……。
草津東の2年生ストライカー、全国へ。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byTakahito Ando

posted2018/11/28 17:00

兄の背中を追い、その夢を継ぐ……。草津東の2年生ストライカー、全国へ。<Number Web> photograph by Takahito Ando

左が兄の渡邉悠斗、右が渡邉颯太。仲の良い兄弟の夢は……これから始まるのだ。

将来のため、勉強もサッカーも。

 2人がサッカーを始めたのは、保育園時代まで遡る。サッカーをやっていた父親の影響で悠斗が自然とサッカーを始めると、弟の颯太も兄の背中を追ってボールを蹴るようになった。

 そして、小・中と同じチームでプレー。中学時代は地元の甲南中サッカー部に所属し、2人ともそこまで目立つ存在ではなかったが、悠斗は「勉強とサッカーを両方ともしっかりやりたいし、私立ではなく県立が良かった。そう考えた時に、草津東の体育科ではなく、普通科を受けることが一番自分に合っていると思った」と、滋賀県下でも有数の進学校である草津東を選択した。

 こうして悠斗の文武両道の生活がスタートした。

 1年時はBチーム生活が続いたが、「勉強もサッカーも共に厳しい環境でできたので、両方とも日々成長している実感はありました。草津東に進んで良かったと思いました」と、前向きに過ごすことができた。だからこそ、弟の颯太にも草津東進学を何度も薦めたという。

「弟にもサッカーと勉強を両立してほしかった。弟はサッカーでの実力があるし、上のレベルでやれる選手ですから。

 でも、僕から見て性格的に諦めが早いように見えたんです。このままではこの先、何かうまくいかないことがあると、あっさりと諦めてしまうんじゃないかという懸念があった。だから、颯太は絶対にスポーツばかりにしない方が良いと思ったんです。

 勉強も一生懸命頑張って、草津東の普通科に入ってサッカーを続けることが、彼にとってベストだと。そうすればサッカーだけでやるより、将来の選択肢が減らないと思ったんです」

 弟思いの兄らしい言葉。颯太が中3になる頃には、うるさいくらいに「草津東に来い」と言い続け、颯太自身もサッカーを続ける傍ら、進学のために塾へと通い続けた。

弟の性格を考えた進路を……。

 だが……案の定、秋になると颯太は「俺の学力じゃ草津東には行かれへん。学力レベルを落として、別の高校に行ってサッカーをやる!」と反発してきた。

「いや、絶対にダメだ! 本気でサッカーをしたくて、続けたいのならば絶対に草津東に来い」

 兄の悠斗はここでもまったく譲らなかった。ここまで悠斗が頑固だったのは、颯太のことだけでなく、まだその下に妹と弟の2人がいるから……という思いがあったという。なんとしてでも県立高校に、それもサッカーも勉強もしっかりできる学校に進学して欲しいという思いがあった。

「最初は『何でここまで俺に言ってくるんだ』と反発しましたけど、兄の言うことも凄く分かるし、何より兄と一緒にサッカーがしたいと思えたんです」(颯太)

 結局、兄の思いを汲んで颯太も必死に勉強に打ち込み、晴れて草津東の普通科に入学を果たした。このとき悠斗は、密かに重要な決断を自らに下していた。

「高2に上がる時に、それぞれのコースを決めないといけないのですが、僕は国公立を目指す文IIクラスに進むことにしたんです」

 草津東の普通科には、「文I(私立大で3教科を授業で扱う)」、「文II(国公立専門コースで全教科を履修)」、「理系」の3つのコースがあり、高2の6月にどれかを選ぶことになる。この時点で悠斗は国公立大1本に絞っていたというのだ。

「サッカーで上に行きたい気持ちは捨てていませんでした。2年で出番を掴んで、3年のインターハイまでに全国で結果を出せば、サッカー推薦で私立大からもお話を頂けるという望みはあった。なので、サッカーと勉強の両立により力を入れていました」(悠斗)

【次ページ】 突然起こった、原因不明の不調。

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