“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
兄の背中を追い、その夢を継ぐ……。
草津東の2年生ストライカー、全国へ。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/11/28 17:00
左が兄の渡邉悠斗、右が渡邉颯太。仲の良い兄弟の夢は……これから始まるのだ。
受験を選んだ決定的な出来事。
「高校3年にもなると、より周りが受験モードになります。この時点でサッカーか、勉強かの迷いは出ていました。だからこそ、僕はインターハイに懸けていた。そこで勝ち上がることが出来たら、私立大からサッカー推薦の話が来るかも、と思っていました。
でも結果は初戦敗退。
この試合以降は、草津東のチーム内でのレギュラー確保の可能性はあっても、推薦で良い大学に行ける可能性は限りなく減ったわけです。そこで、受験に専念する決意を固めたんです」
決心したと同時に、颯太の将来について考えることも増えていった。
「颯太には悔いの無いようにサッカーに取り組んで欲しい。全国にその名を轟かせるようなストライカーになって欲しいんです」
「俺がもっと頑張るよ!」
そして9月上旬、悠斗はサッカー部に退部を申し出た。
その直前、悠斗は自分の決意を家族に伝えていた。すると颯太は表情を一切変えずに、普段と変わらぬ態度のまま悠斗にこう言ったという。
「スタメンが抜けて、草津東が弱くなったと思われるのは、嫌だ。俺がもっと頑張るよ!」
この言葉、颯太なりの兄へのエールだった。
「(兄の)将来に関する決断は自分で決めることなので、そこは何も思わなかった。でも、保育園からずっと同じチームでやっていたし、インターハイでようやく同じピッチに立てたのに、まさかそれが最後になるとは思っていなかった。
去年の選手権は僕がピッチに立って、お兄ちゃんが立てていなかったので、その悔しさは分かっていた。それに、何よりもっと早く貧血だということが分かっていたら、選手権も同じピッチに立てたかもしれなかったし、ここで辞めなくても良かったかもしれない。
去年、お兄ちゃんが走りでいつも最下位とかで、終わった後に苦しそうだった姿を見て『大丈夫かな』と思ったし、治療してからダントツでトップを走る姿を見て、『もっと早く気付いてあげられていたら』とは思いました。そう思うと……お兄ちゃんは相当辛かっただろうなと思うし、僕も本当は選手権に一緒に出たかったので……」(颯太)