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俊足、華麗でなくてもJ2で250試合。
岐阜・田森大己を支える大木イズム。
text by
渡辺功Isao Watanabe
photograph byJ.LEAGUE
posted2018/11/24 10:00
甲府に始まり岐阜で到達した250試合出場。田森大己のような存在がいるから、J2は滋味にあふれる。
田森のサポートがリズムを生む。
「押し込まれていたんで、まずはあんまり上がり過ぎないようにして。後ろで味方をサポートしながら、自分たちの時間をつくるために、パンパンと(リズムよく)ボールをもらって、さばいて。そうやって相手を押し込む時間を、だんだん増やしていこうかなと」
今シーズンは、センターバックでプレーすることがほとんどだったが、違和感なく最終ラインの左サイドでパスを引き出し、もらってはパスを出し、また動いてをくり返すと、徐々にボールとゲームを岐阜が支配する。
前半終了間際には、立て続けに2度決定機をつくってみせた。対する福岡の攻撃は、枠を捉えきれないミドルシュートだけとなる。気がつけば、ゲームの潮目が変わっていた。
「試合の最初は結構攻撃できたんですが、相手の監督もそれを感じてサイドバックを交替させた。そこから相手の守備がだいぶ安定した」(福岡・FWドゥドゥ)
「ボールを受けられる。そしてパスも出せる。守備のところでちゃんと相手にプレッシャーを掛けることができる。ゲームが落ち着きましたね」(岐阜・大木武監督)
広島から法政、そして甲府へ。
後半に入ると、他会場で大宮アルディージャ、東京ヴェルディが、それぞれ先制。このままのスコアだとプレーオフ進出の可能性のなくなる福岡が、山瀬功治、レオミネイロ、森本貴幸と、攻撃の駒を次々投入した。
なんとかゴールをもぎ取ろうとしたのだが、ここでも田森は「シンドかったけど、こちらも前の選手だけで攻めることができていたので。自分は後ろに重きを置いて」と、戦況を見極めて冷静に対処する。結果0-0で試合終了。ホーム長良川のサポーターに勝利は届けられなかったものの、無失点でシーズンの最後を締めくくった。
1983年広島生まれ。中学、高校時代はサンフレッチェ広島のアカデミーに在籍。法政大学に進学後、サッカー部のヘッドコーチだった川勝良一氏(現解説者)の指導で大きく成長。3年時にはセンターバックとして、18年ぶりとなる関東リーグ1部昇格に貢献。4年時にはボランチでプレーして、チームを20年ぶりのインカレ出場に導いた。
4年生だった2005年の秋、ヴァンフォーレ甲府の練習に参加。“止めて蹴る”の高い基本技術やゲームを読む力が認められ、翌シーズンからの入団を勝ち取った。このとき甲府の監督だったのが、現在岐阜を指揮している大木監督だ。