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京田をどうする?根尾昂を当てた
与田監督が問われるマネジメント術。
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKyodo News
posted2018/11/22 08:00
根尾昂の交渉権を得た与田監督は本人の遊撃手希望に対し、チーム内で競争させる方針を示している。
福留と久慈の時は……。
続いての例が1999年の福留孝介(日本生命)だ。
このときの監督も星野だった。前年の遊撃手の先発出場は久慈照嘉(現阪神コーチ)が最多の67試合、韓国球界のスターだった李鍾範が55試合だった。星野監督は俊足だが遊撃守備に難のあった李鍾範の外野へのコンバートを早々と決断。
一方、守備力には定評があった久慈は、福留入団のあおりをもろに受け、出場機会が激減する。巨人との水面下での激しい獲得争いを制し、逆指名を勝ち取ったのが福留。入団に至る星野の情熱や闘争心を間近で見ていた久慈にとって、遊撃のポジションを明け渡すことは「そりゃわかりますよ」となる。
しかし、星野が自分のことをどう見ているかを知った瞬間から、与えられた立場を受け入れた。
「番記者だったと思うんですが、それが誰だったのかはなぜか覚えていないんです。でも、その人がこう言ったことだけは強烈に覚えています。『監督はあいつが必要なんやって言ってたよ』。自分の仕事がある。チームに貢献できる。そう思えました」
「決めるのは監督や!」
宇野には直接、思いを伝えた星野だが、久慈によると「そのことについて直接、話したことはない」。人たらしで知られる星野のことだから、間接的に思いが伝わることを計算した可能性はある。「あいつは必要」というメッセージは、実際に久慈に伝わり、名手の心を揺さぶった。
オープン戦をノーアーチ、打率.159で終えても、福留を使った星野ではあるが、シーズン19失策(うち遊撃手として13)の守備力は懸案だった。勝ち試合の終盤には、必ず久慈を守備固めとして投入。それが「必要」の意味だった。そこは徹底しており、ある試合では「単打が出ればサイクル安打」という状況でも交代を命じた。
「僕が行ってもいいのかなって顔をしていたら『決めるのは監督や!』って怒鳴られてね。孝介も次の日の第1打席でシングル打って意地見せたんですよ」
1999年の遊撃手の先発は福留が103試合、久慈が32試合。守備固めも含め、福留1人で内野の要をまかなえないことも、星野の計算に入っていたのだ。