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京田をどうする?根尾昂を当てた
与田監督が問われるマネジメント術。
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKyodo News
posted2018/11/22 08:00
根尾昂の交渉権を得た与田監督は本人の遊撃手希望に対し、チーム内で競争させる方針を示している。
宇野を二塁に回した星野監督。
甲子園を春夏連覇したところも根尾との共通項。ドラフト会議直前に方針を転換し、1位指名に踏み切った。南海との競合を制し、晴れて入団。
ところが当時の中日には宇野勝が正遊撃手として君臨していた。前年までに本塁打王1回、通算227本塁打を放つ中心打者。立浪が入団する前年の1987年も全130試合に遊撃手で先発出場し、3度目のベストナインに選ばれている。
当時チームを率いたのは星野仙一。沖縄での一次キャンプでは「(立浪を)セカンドで使うことは考えていない」とコメントしている。つまり、この段階では宇野のコンバートには触れていない。
事態が動き出したのはフロリダ州ベロビーチでの二次キャンプからだ。3月初旬に宇野が二塁の守備練習を開始。帰国し、同12日の日本ハムとのオープン戦(浜松)から宇野は二塁で出場した。翌13日の同戦(ナゴヤ)では立浪が「2番・遊撃」、宇野が「5番・二塁」として初めて二遊間を組んでいる。この間の経緯を、星野監督はほとんど報道陣にはしゃべっていない。
ベロビーチの監督室に呼ばれ。
宇野のプライドに配慮し「報道先行」で伝わることを避けたようだ。宇野は星野から直接、二塁コンバートを告げられている。
「あれはベロビーチだったと思います。監督室に呼ばれてね。こう言われたんです」
星野「おまえ、あいつ(立浪)を見てどう思う?」
宇野「うまいですよね。肩も強い」
星野「そうだろう? オレはあいつを使う。打っても打たなくても、だ」
宇野はこう振り返る。
「複雑だったよ。中日のショートはオレだって思いはあったから。あの瞬間を比べて、オレよりうまいとは思わなかったしね。総合的にはオレが上だって思ったから。ただ、ゲームに出ないわけではない。最終的にはそこだったんだろうね」
こうして始まった1988年、立浪は遊撃手として91試合に先発出場。打率.223はリーグ最低だったが、星野は使い切った。コンバートを受け入れた宇野も全試合に出場している。