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清原和博、もう1つの原点。岸和田
だんじり祭、潜入取材を終えて。
posted2018/10/01 17:00
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Takashi Shimizu
決して「清原和博」の取材にいったわけではない。ただ、そもそもの発端をたどれば、あの人のこんな言葉だったような気がする。
「一生に一度は、見ておいた方がいいですよ」
岸和田だんじり祭。
南大阪は泉州を代表する祭りで、300年の歴史を持つ神事である。人が乗れば、8トンにもなる欅づくりの“地車(だんじり)”を猛スピードで曳きまわし、あえて危険なカーブに突進していく。そのため、家屋を破壊したり、町ぐるみの抗争に発展したり、死者が出ることもあり、「ケンカ祭り」の異名がある。
清原氏にとっては、PL学園高校に入学する15歳まで親しんだ、生まれ故郷の文化である。
栄光と転落の半生を振り返っていく雑誌連載『告白』を続けていく中で、ことあるごとに、この祭りについて触れるのが印象的だった。
「小さい頃は綱先しか曳かせてもらえないので、いつか大きくなったら、だんじりの真ん中で祭りをしたいと思っていました。プロ野球選手になってからも、祭りの時期になると、よく岸和田に帰っていました」
甲子園とともに、清原氏にとって、もう1つの原点なのかもしれない――。
そう思わせる、郷愁と憧憬が口調には込められていた。
「清原さんの取材を続けるのなら、だんじり祭を」
ちょうど、その頃、産経新聞社・新プロジェクト本部の山本雄史氏という記者が「なぜ、Numberが清原氏の取材を続けるのか」について取材に訪れており、偶然にも同氏は岸和田出身だということだった。
「清原さんの取材を続けるのなら、だんじり祭を見ておいた方がいいのでは」
私はその言葉に不思議な縁を感じ、同氏に案内されるまま、阪和線を南に下り、初秋の泉州へと降り立った。
そこで目にした地車と男たちの疾走は、良くも悪くも情に脆く、大都会・巨人軍の風土に馴染めなかった、ある天才打者の価値観と重なって見えた。