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清原和博、もう1つの原点。岸和田
だんじり祭、潜入取材を終えて。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byTakashi Shimizu
posted2018/10/01 17:00
毎年50万人を超える人が訪れる9月の「岸和田だんじり祭」。スポンサーはなく、すべて祭礼団体の自主運営、自主警備で開催。
「いつでも(清原の)席は空いているで」
彼らは言う。
「清原はだんじりファイターちゃうけどよ、でも俺等にとってヒーローやもん、ヒーローは何があってもヒーローよ。だから、もし祭りに来るんなら、いつでも席は空いているで。何があったんか知らんけど、一緒に飲もうよ、っちゅうてな」
そんな豪快な笑い声を知ってか、知らずか、祭りの日が近づくにつれて、清原氏からはたびたびメッセージがきた。
「岸和田人になりましたか?」
「生きてますか?」
祭りのことが気になっているようだった。
「僕ね、だんじりに興味を持ってもらえて、嬉しいんです」
どうやら、この祭りがある町に生まれ育ったことを誇りにしているようだった。
祭りの日。結局、清原氏は来なかった。来れなかったのかもしれない。
ただ、代わりにこんな言葉が届いた。
「その町じゃ、僕なんて番長でもなんでもない。フツーだということがわかったでしょう」
祭りに生きる男たちと野球界のスターには双方気づかぬうち、根底に通じているものがある。おそらく、私はまったくの第三者であるゆえに、それを感じられたのかもしれない。
なぜか、自分のホームを離れるような気持ちに。
祭りの翌朝、魂が抜けたような顔の男たちに別れを告げ、東京へと戻る。ソースと人情と、昭和の匂いが漂う町並みを眺めながら、駅へと向かう。濃密な記憶がよぎる。
道すがら、私はなぜか、自分のホームを離れるような気持ちになった。去りがたかった。
ああ、そういえば、この感じ……。
理不尽で、矛盾だらけで、手に負えなくて、憂鬱ですらあるのに、どこか離れがたい。
そうだ。これは、つい先頃、どこかの誰かから感じたものと同じなのだ。
痺れるような祭りの余韻に浸りながら、上りの電車を待った。
清原氏の原点にも通じている価値観とは何か。男たちはなぜ、多くを犠牲にしてまで祭りに生きるのか――。