太田雄貴のEnjoy FencingBACK NUMBER
各競技団体に問題が噴出する中で、
フェンシングと太田雄貴が誓うこと。
posted2018/09/09 11:00
text by
太田雄貴Yuki Ota
photograph by
Sports Graphic Number
レスリング、アメフト、ボクシング、そして体操……。
2018年は、スポーツの競技団体において、暴力問題やトップの横暴、パワハラなど、さまざまな疑惑や問題が噴出する年となってしまいました。
スポーツ競技団体の会長としても、次から次へと発覚する事件の報道に接すると、身が引き締まる思いがします。と同時に、これからも、おそらく雨後の筍のように、各競技の現場で起きているさまざまな問題が膿のように噴出してくるのだろうな、とも思っています。
スポーツの現場はかつて、強い力を持ったものが指導的なポジションにつき、トップダウンで物事を決めていく中で強化をすすめていくのがスタンダードでした。
その手法が、かつては競技の規模やレベルにフィットしていた時期もありました。世界で勝つ実力をつけるために、何をしていけばいいのか。民主的に方法を決めていくことはもちろん大切ですが、それには丁寧な議論が必要となり、結果として意思決定スピードが遅くなってしまうこともある。
あくまでも「過去」の話であることを強調した上でお伝えしたいのですが、そういったときに、民主的な手続きを飛ばしてのトップダウンが有効な局面があったことは指摘しなければなりません。
でも、今はそのやり方は通用しません。スポーツの組織運営の世界にも、ようやくガバナンスという概念が根付き始めています。もともと人気があり、マーケットの大きい競技団体は、比較的早く民間の資本や民間の論理にさらされたことで、ガバナンスが進んでいきましたが、マーケットの小さな競技団体は、よほど意識して、協会自ら主導権を握っていなければ、ガバナンスを組織全体に効かせることはできません。
競技団体の問題について思うこと。
その中で、まだガバナンスが行き届いていない競技団体について、今までは表に出なかった問題に光が当たるようになっています。
また、この現象は「東京五輪効果」のひとつだとも感じています。たとえば女子レスリングのパワハラ問題は、2年後に向けて全力で戦う環境を作りたい、と思った選手側が、奪われた練習の機会を求め、勇気をもってアクションを起こしたことがきっかけでした。
体操についてもコーチの暴力問題がきっかけでしたが、協会の強化トップが選手との話し合いの中で「このままでは五輪に出られない」といった言葉を交えながら追い詰めてしまったのではという状況がみてとれます。
そこでは、スポーツの世界で最も大切にすべき公正さが、ないがしろにされてしまっている。タテ社会の年功序列、学閥派閥、クラブや地域間の縄張り争いが背景に見え隠れしています。