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いまだ17位に沈むガンバ大阪の危機。
降格の'12年、三冠の'14年に学ぶこと。
posted2018/04/27 11:00
text by
下薗昌記Masaki Shimozono
photograph by
J.LEAGUE
二度あることは三度ある、とはよく言ったものだ。
近年、シーズン序盤に2度の降格圏内での戦いを余儀なくされた経験を持つガンバ大阪が、今季も開幕から低空飛行を続けている。
3月10日の川崎フロンターレ戦で敗れ、18年ぶりとなる最下位に転落すると、4月21日のセレッソ大阪戦で勝利するまで17チームを見上げる状態が続いていた。
「大阪ダービーの勝ち点3を意味あるものにするためには、これからの試合で勝ち続けることが大事になって来る」
倉田秋がこんな意気込みを口にして臨んだ25日の湘南ベルマーレ戦は、今季初の連勝を賭けた一戦だったが、ハイプレスと人海戦術を使い分ける昇格チームを前に0-1で完敗。降格圏内から抜け出せず、ガンバ大阪は17位に喘いでいる。
内実は降格の'12年より深刻かも。
10節を終えての降格圏はガンバ大阪にとって決して珍しい出来事ではない。クラブ史上初の降格に泣いた2012年は今季と全く同じ戦績となる2勝1分け7敗で、得た勝ち点は7。
そしてJリーグ史上最大となる勝ち点14をひっくり返し、三冠を独占した2014年も10節段階では勝ち点9。
低空飛行で始まった2度のシーズンは対照的な結末を迎えている。2012年は序盤の出遅れを取り戻しきれずに最終節で残酷な現実を突きつけられたが、2014年はJリーグ史に残るV字回復で、やはり最終節に2度目の制覇という歓喜を味わった。
数字だけを見れば、2012年を思わせる足取りのガンバ大阪だが、その内実はより深刻と言えるかもしれない。
前年にクラブ史上最多となる勝ち点を得ながらも、セホーン監督と呂比須ワグナーヘッドコーチの「二頭体制」で混乱をきたした2012年は、地力があるはずのチームが歯車を噛み合わせきれないまま、まさかの低迷。しかも開幕前のフィジカルトレーニングの失敗も、降格の遠因だった。