サッカー日本代表「キャップ1」の男たちBACK NUMBER
代表より鹿島を優先した増田忠俊。
「でも、1キャップに感謝しようと」
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph by“Eijinho”Yoshizaki
posted2018/03/23 07:00
大事にしている代表ユニフォームと増田忠俊。彼の教え子から日本代表選手が生まれるのを楽しみにしたい。
西野監督との面談で話したこと。
オリンピック代表に選ばれたことは光栄だったが、どうしても自分のなかでピンとこない。選手選考の競争に本気になりきれない。
そのうえ、現地に呼ばれても、試合での起用は限られた。増田自身、朝の散歩の時間に遅刻してしまう失態も犯した。
西野朗監督とも面談の機会を持った。
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「キレが戻っていない」
そんなことを言われた。
鹿島アントラーズ始動前の合宿でもあったのだ。
しばらくは我慢の時を過ごしたが、ついに増田は西野に直訴した。
「ここで出られないんだったら、鹿島でしっかりレギュラーを獲ったほうがいいです」
つまり、日本に帰りたいと。
「それでいいのか?」と西野は聞き返した。
増田は「はい」と答えた。
翌日、現地の空港で時の日本サッカー協会強化委員田嶋幸三(現会長)に付き添われ、1人で日本に降り立った。
クラブハウスに直行すると2時間の説教。
チーム離脱。
この話題にスポーツ新聞が飛びつかないわけはない。すでに増田に対し「確執」「異端児」といった見出しが飛び交っていた。
帰国後、鹿島アントラーズのクラブハウスに直行すると、2時間の説教が待っていた。
「なんてことしてんだ! もう一生、二度と、代表には呼ばれないぞ」
クラブの上層部からこっぴどく叱られた。増田が想像するに、帰国までの間にも協会と鹿島の間でかなりのやりとりがあったようだった。
今思えば、「確かに当時の自分はちょっとナメた部分があった」と思う。自己主張が強い。'96年からチームを率いたブラジル人指揮官ジョアン・カルロスとは度々監督室に呼び出されるほど意見し、「おまえほど大変なやつはいない」と言われたこともあった。