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日本産「ペルーの至宝」が柏に帰還。
澤昌克のレールを外れた南米人生。
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph byGetty Images
posted2018/03/23 16:30
ペルー、ムニシパル在籍時代の澤。ペルーはロシアW杯最後の1枠に滑り込み、36年ぶりの出場を果たした。
泥臭さ、試合の流れを読む“南米基準”。
「今でこそ笑い話ですが、日本語の使い方を忘れていたんです。正直、今でも下手ですが(笑)。ただ、それくらいコミュニケーションからサッカー観までJリーグは全てが違った。やっと少し慣れてきたかと思うと、今度は怪我で戦列を離れることになって。
良くも悪くもペルーのサッカーは大雑把だったんですね。だから(Jリーグでは)プレー面でも、規律や守備を意識しすぎて自分も持ち味を殺す結果になり、2年目まではその悪循環を抜け出せずにいました」
ペルーで求められていたのは、ゴールや局面の打開。これは南米サッカーにありがちな傾向とも言えるが、緻密な戦術よりも、要所では個人技に頼るという“南米基準”が澤にも刻まれていた。
「頭では常にスーパーゴールをイメージしている。でも、上手くいった試しはほとんどないですよ」との本人の弁の通り、澤は華麗な技術や圧倒的な身体能力で勝負するタイプではない。泥臭くボールに食らいつき、労を惜しまず相手が嫌がるプレーを徹底する。
そして、試合の流れを読むプレーを理解している。それは観るものを魅了する南米サッカーのテクニカルな側面と並び、南米の強さの根幹をなすものだ。澤は、独自の経験をベースに、そのプレーをピッチ上で誰よりも強く表現することに活路を見出した。
僕の役割は南米で自然と形成された。
「レイソルでは、僕はチームの中心となる選手ではない。ただ、常にどんな試合でも勝敗の流れを手繰り寄せる存在でいたいと考えていた。例えば、こぼれ球やセカンドボールの処理や、球際の厳しさ。押し込まれているときに、相手のキーマンを封じること。劣勢のときでも、チームに水を与えることが僕の役割のはずだ、と。この考えは、うーん……やっぱり南米で自然と形成されたものなんだと思います」
自身の強みをレイソルにも落とし込み、3年目以降、澤は持ち味を遺憾なく発揮する。'11年シーズンは、J2から昇格即J1初優勝という快挙を達成したチームの中でも、ユーティリティな働きを見せ貴重なピースとして機能した。
'13年にレイソルを退団後、ペルーの古巣デポルティーボ・ムニシパルへと舞い戻った。2部に降格していたチームを昇格させ、優勝争いを演じるなど、再び輝きを取り戻す。新たにウイングバックにも挑戦し、選手としての幅を広げた。