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日本産「ペルーの至宝」が柏に帰還。
澤昌克のレールを外れた南米人生。
posted2018/03/23 16:30
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph by
Getty Images
2017年12月某日。南半球のペルーでは真夏に当たるこの時期に、リマのホルヘ・チャベス国際空港には50人を超える老若男女が集まっていた。そこにはあるサッカークラブの英雄であり、アイドル的な人気を誇った1人の日本人選手の姿があった。
「本当に行ってしまうのか? 俺たちにとっては、お前の契約延長が何よりのクリスマスプレゼントとなるはずだったんだが……」
「ここは常にあなたのホームだ。また会いましょう」
「どんな形でも良いからクラブに戻ってきてほしい。その日を楽しみにしている」
ペルーリーグの中でもとりわけ熱狂的なチャントで知られる、デポルティーボ・ムニシパルのサポーターたちは、日本生まれの「ペルーの至宝」との別れを惜しんだ。中には涙ながらに説得を試みる人の姿もあった。
はなむけの言葉の先にいた澤昌克は、8年間過ごしたペルーでの日々を回想していた。感傷的になるのを押し殺し、あえて冗談めいた口調で言葉を送り、成田行きの飛行機へと乗り込んだ。
「水くみや、ボール拾い、雑用でよければいつでもここに戻ってくるよ」
「もう一度日立台でサッカーができるとは」
今年、35歳になった澤は、'08年から6年間在籍した柏レイソルへの4年ぶりの復帰を決めた。'11年のリーグ優勝を果たした際のメンバーである澤にとっても、古巣への復帰は想定外だったという。
「まさか、もう一度日立台でサッカーができるとは予想できなかったですね。昨シーズンはペルーでも膝の怪我の影響があり、納得できるプレーができなかった。日本への復帰も視野に入れていましたが、J2、J3のクラブからはオファーがあっても条件面が折り合わず、仲介人レベルで止まっていたんです。
そんな状態の中でレイソルからの打診があって、即決でした。レイソルを出る時も突然で、戻る時もサプライズになり、運命じみたものを感じながら。
クラブからは『味のあるプレーをしてほしい』と言われています。僕のサッカー人生の99%は思い通り進んだことがなくて、行き当たりばったりの連続。レールから外れるのが好きで、それが高じて再び日本に戻ってくることになるとは……。たぶん誰よりも、僕自身がこの復帰を驚いていますよ」