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栃ノ心が教えてくれたふたつのこと。
親方との絆、そして休場する勇気。
posted2018/03/09 17:45
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph by
JMPA
かつての旧ソビエト連邦から独立した国、ジョージア出身の栃ノ心は、ふたつのことを教えてくれた。
先の初場所、西前頭三枚目の地位で、6年ぶりの平幕優勝を飾った栃ノ心。横綱白鵬、稀勢の里が休場するなか14勝1敗の成績で抱いた初賜杯だった。
千秋楽を待たずに優勝を決めた14日目、春日野部屋の上がり座敷では関係者がひしめき、祝杯をあげる準備をしていた。黒紋付き姿の正装で師匠の到着を待ち構えていた栃ノ心の姿を見るや、春日野親方は、「よくやった……」とひとこと、その首に巻き付くように弟子を力一杯に抱きしめていた。
翌千秋楽。優勝旗を携えてパレード車で到着する愛弟子を、いまかいまかと玄関で待ち受ける師匠夫妻の姿があった。パレード車から降りた栃ノ心は一目散に師匠の下へ歩み寄り、包み込むように師匠の体を自ら抱きしめる。こわもての師匠の目からみるみる涙が溢れ出る。
部屋を持つ師匠の夢は「横綱・大関を出すこと。そして幕内最高優勝力士を出すことだ」と聞く。2014年、4場所連続休場し、番付を落としての幕下連続優勝、十両連続優勝、4場所連続優勝をして幕内に復帰した栃ノ心はいう。
「『いつか(幕内)優勝することがあったら俺を抱きしめろよ』と言われていたんです」
当時は夢のようでもあった師匠のその言葉を、弟子はこの日まで忘れなかった。そして、叶えた瞬間だった。
土俵の外での騒動が続いた初場所。
土俵外での話題で騒がしく、揺れ続けていた1月初場所。
昨年10月の元横綱日馬富士による暴行事件から端を発し、数々の不祥事が明るみに出続け、春日野部屋でも4年前の傷害事件が一部のマスコミで蒸し返された。新年初めの大切な本場所中、部屋関係者たちの心中は穏やかではなかった。春日野親方は、協会執行部の理事として、広報部長としてのマスコミ対応など、土俵外での心労が続く毎日でもあったのだ。