サッカー日本代表「キャップ1」の男たちBACK NUMBER
伝説のスーパーサブ森山泰行の今。
代表1キャップで感じたカズの理念。
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byEijinho Yoshizaki
posted2017/12/08 11:30
高校サッカー激戦区の1つ、埼玉で指導する森山。自らのサッカー人生で得たものを育成年代に還元する。
ベンゲル監督のもとで確立したスーパーサブ。
根拠のない傲慢さだった、と思う。当時の名古屋の監督やフロントとも度々衝突した。
'95年にアーセン・ベンゲルが就任すると、監督との関係は良好になった。しかしこの頃から、ある評価に苦しむことになる。プロ入り後の森山の代名詞ともいえる「スーパーサブ」という扱いだ。試合の後半に投入され、多くのゴールを挙げた。'94年の39試合13ゴールに続き、ベンゲル監督就任初年度の'95年には42試合14ゴール、同監督最後の年(9月まで指揮)となった'96年には26試合で11ゴールを記録した。
「途中出場というのは『そんなに長い時間を使えないよ』という意味でもあるんです。それは他人の評価なので仕方ないですけど。後に受け入れていきましたが、最初は葛藤がものすごかった。いくらゴールを決めても、次の試合はベンチスタートだったので。代表の加茂周監督も『所属チームでレギュラーじゃない選手は代表には呼ばない』という基準を持っていたようで。代表招集に関して何度かベンゲルとは話をしてくださっていた、というのは耳にしたんですが……」
1997年6月15日、大阪・長居競技場。森山にとって初めての国際Aマッチの機会が訪れた。時の監督は加茂周。悲願の本大会初出場をかけたフランスW杯1次予選を戦う最中のゲームだった。
チームは同年3月にスタートした予選でオマーン、マカオ、ネパール相手に3試合で17ゴール無失点を記録。その後、5月21日から6月15日にかけてテストマッチを3試合戦った。初戦は国立で'02年ワールドカップ共同開催記念試合を韓国と戦い1-1のドロー。続くキリンカップの2戦では6月8日に東欧の強豪クロアチア相手にカズの2ゴールなどで4-3の勝利。この日のトルコ戦から1週間後、6月22日にはW杯1次予選でマカオとのホームでの再戦が控えていた。
キャップ1のプレーには「反省しかありません」。
67分、ピッチに足を踏み入れた。長居競技場の雰囲気について「お客さんが多いな」とは思ったが、ぐっとこみあげてくる感情などはなかった。
「反省しかありません」。森山は「キャップ1」の経験をそう振り返る。
「自分が擦り切れて、消耗していた時期」だったからだ。スーパーサブの扱いに関する問題は、この年最終的に16勝16敗の総合9位と低迷した名古屋にあって、カルロス・ケイロス監督に対し先発での起用を直訴したこともあり、解決していた。
しかし、メンタルの状態がとても代表で戦うものではなかった。
「名古屋をなんとかする、ということにパワーを使い切っていた。しかも一番ゴールを決めていた時期(3年連続2桁ゴールを記録した'94年から'96年)には一度も呼ばれず……」