サッカー日本代表「キャップ1」の男たちBACK NUMBER
伝説のスーパーサブ森山泰行の今。
代表1キャップで感じたカズの理念。
posted2017/12/08 11:30
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph by
Eijinho Yoshizaki
「取材時に、日本代表当時のユニフォームをお持ちいただけないでしょうか」
名古屋グランパスなどでFWとして活躍した森山泰行(48)に事前にこの点を依頼した。すると電話口でこんな返事が返ってきた。
「いやー、やたらとサイズがでかいんですよ。当時、余っていたものを支給してくれたのかもしれませんね」
笑いながら言う。現在、埼玉の浦和学院高サッカー部で監督を務める彼にとって「日本代表キャップ1」の経験はそれほど色濃いものではないのか。そんなことも思った。
1969年生まれの森山は、帝京高のストライカーとして世に知られるようになった。'87年の高校選手権では、チームメイトの礒貝洋光とともに、今も語り継がれる東海大一高との準々決勝にも出場した。順天堂大を経て'92年にプロ入り後は名古屋などでJ1通算215試合出場66ゴール。171センチの体躯から、野性的なゴール感覚を発揮した。それだけでも十分な認知度がある。
帝京・古沼監督の目に留まり、磯貝のパートナーに。
そんな森山にとっての日本代表Aマッチの経験は、たった一度のものだ。
1997年6月15日、キリンカップ・トルコ戦@長居競技場。
67分に森島寛晃と交代でピッチへ。その後、フランスワールドカップ1次予選に臨むチームに残ることはなかった。
日本代表としてプレーする。エリートコースを歩んできた森山にとってそれは15歳のころから始まる道でもあった。
「ジュニアユース代表としてカタールに遠征したことを覚えています。まだまだあの頃は、日の丸のために、純粋にプレーできていたなと思いますね。今考えると、心構えは足りていない。でも純粋ではあった」
中3時に全国中学校サッカー大会に出場。対戦相手にいた礒貝のチームを破ったことなどにより、帝京高の古沼貞雄監督の目に留まった。同校進学後は1年からFWとしてレギュラーを獲得。天才MF・礒貝のパートナーとしても名を馳せた。