“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
ともにJ内定、高橋大悟と生駒仁。
鹿児島で最高の宿敵、親友の物語。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2017/11/16 08:00
激しいマッチアップを見せた高橋(左)と生駒。Jリーグの舞台で“再戦”の日を待つ。
「大悟を倒さないと」「どうやったら仁を抜けるか」
彼らは親友同士で、深い絆で結ばれていた。
「仁は僕が初めて県選抜に入ったとき初めて出来た友達で、今でも特別な存在なんです。小4で屋久島からただ1人県選抜に入ったけど、もう仁は鹿児島の中では有名な選手だった。オーラもあって凄い選手だと思ったけど、僕が話しかけたら物凄く良い奴だった。僕にとって一番の友人なんです」
2人は鹿児島を代表する選手として、切磋琢磨した。中学は高橋が屋久島を出て神村学園中等部に進学すると、生駒も鹿児島城西と中高一貫である鹿児島育英館中へ進学。ライバル関係はそこから始まった。
「大悟を倒さないと全国には行けない。対戦していて凄く嫌な相手だけど、あいつとの駆け引きが凄く楽しいんです」(生駒)
「どうやったら仁を抜けるかを考えながらプレー出来た。普段の練習も『このプレーだったら仁に止められる』と常に危機感とイメージを持って取り組むことが出来た」(高橋)
中学では高橋、高校では生駒が全国で輝いた。
育英館中と神村学園中は県内で常に重要な決戦を演じていた。中学時代は、ほとんど神村学園中が勝利。高橋は中2で全国中学サッカー大会ベスト4、中3では高円宮杯全日本ユース(U-15)に出場するなど、輝かしい成績を収めた。それとは対照的に生駒は影に隠れる形になった。
しかし高校での立場は一転した。ともに進学後即レギュラーをつかむと、1年時の選手権予選決勝で激突。延長戦までもつれた激戦は、2-1で鹿児島城西が勝利を収めた。生駒は1年生CBとして注目を集め、一気にJクラブのスカウトが2年後の目玉として獲得に動き出すようになった。さらに翌年、鹿児島城西はインターハイと選手権に出場し、さらに評価を高めた。
鹿児島城西の壁に阻まれた高橋は2年間、一度も全国に出られなかった。それでもボールコントロールと得意の左足キックに磨きをかけ、徐々にJスカウトも注目した。
「仁はどんどん注目度が高くなっていたので、僕も置いていかれないようにしようと必死で取り組めた。仁は仁で物凄く努力をしていた。ただ悔しがっていたり、凄いなと思っているだけじゃダメだと思っていました。『俺もいるぞ』ということを示したかったし、何より仁と同じステージに立ちたいという想いが僕を突き動かしてくれた」