サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
韓国で浴びた、名誉のブーイング。
U-20日本とイタリアの価値ある40分。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byAFLO
posted2017/05/29 17:00
密集地帯にドリブルで飛び込み、3人の合間を縫ってゴールまで持ち込んだ堂安律の2点目は想像を絶するものだった。
浴びたのは、名誉あるブーイング。
日本が3点目を奪えば勝点は6となり、イタリアを抜いてグループ2位に浮上できる。だが、3点目を許すと勝点を伸ばせず、3位国同士の比較でドイツの後塵を拝してしまう。つまり、イタリア戦の終了とともに、ベスト16入りを決めることができない。手にするものと失うものをはかりにかけた末のドローは、この試合の最適解だったと言っていい。日本が浴びたブーイングは、名誉あるものだったのだ。
日本が初めてワールドカップに出場した'98年大会で、当時の岡田武史監督はグループステージ突破を目標に掲げた。選手たちも目標を共有していた。
しかし結果は3連敗に終わり、選手たちは心身ともに憔悴する。「グループステージを突破できたとしても、そのあとの戦いをイメージすることができなかった」と話す選手もいた。初めてのW杯に臨んだ緊張感と重圧は、壮絶と言っていいアジア予選を勝ち抜いた選手たちにも未知の世界だったのだ。
世界のトップが、未知ではなくなる時間。
3試合の合計勝点で争うグループステージとは異なり、ノックアウトステージは文字どおりの一発勝負だ。疲労は確実に蓄積していくものの、エネルギーを出し惜しみできない。試合運びの強弱はあるとしても、次の試合を考えた攻防にはならない。過去3試合よりもあらゆる意味で、ワンランク上の攻防が繰り広げられていく。
「世界の舞台で何ができて、何ができないのか」を、本当の意味で測れることになる。世界のトップ・オブ・トップが、未知ではなくなる。
泥臭くたっていい。不恰好でもいい。ひとつでも上のラウンドへ勝ち上がることで、選手たちの自信は太くて揺るぎないものとなっていく。'98年のフランスW杯が'02年への土台となったように、今大会の経験が3年後の東京五輪への財産となる。
2017年の韓国で仰ぎ見る空は、2020年の東京へつながっているのだ。