フランス・フットボール通信BACK NUMBER
クライフを変えたダウン症の若者。
その精神は、今も世界中で生き続ける。
text by
ティエリー・マルシャンThierry Marchand
photograph byDR
posted2017/04/13 17:00
スペイン・マルトレルに完成した「クライフ・コート」の全景。単なるスポーツ施設を超え、「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」としても機能することを目指している。
アヤックスで挫折していた、クライフの革命。
それはクライフが、逝去する数か月前に彼が最も信頼する継承者であるヴィム・ヨンクとともに創設した私設アカデミー「クライフ・フットボール」も同様である。
ふたりは2010年、アヤックスで“ビロード革命”に着手した。しかし「プラン・クライフ」とも呼ばれた専門的なこの大変革は失敗に終わり、ふたりと彼らを取り巻く人物たちは次々とクラブを離れていったのだった。
「トーコムスト」と「マシア」を育てたクライフ。
クライフは常に聖職を求め続ける伝道師であった。
育成者であると同時に改革者でも教師でもあった。
彼には行為の美しさとその感情的側面、結果をわけ隔てることができなかった。
ある意味、「クライフ・フットボール」とは、アヤックスの「トーコムスト」 とバルセロナの「マシア」という、彼がその創設や発展に貢献したふたつの歴史上最も増殖力のある「育成組織」からこの世界に派生した私的な異物なのであった。
それはクライフ自身の若返りの妙薬であり、不滅の象徴でもあった。
クライフにとってサッカーは、頭の中でプレーするものだった。足はそれを助けるためにあるに過ぎない。だから自らの考え方を伝えようとする意志はスピリチュアルかつ文化的であった。
何か質問を受けたとき、彼は質問者自身が熟考して分析し、自分の意見を述べることを求めた。自分がガイドの役割を担うことを望み、質問者たちが本来内に抱いていた知識や価値が、彼ら自身の運命を決するに至るよう導く知の伝道師であろうとしたのである。