フランス・フットボール通信BACK NUMBER
クライフを変えたダウン症の若者。
その精神は、今も世界中で生き続ける。
posted2017/04/13 17:00
text by
ティエリー・マルシャンThierry Marchand
photograph by
DR
4月4日に発売されたフランス・フットボール誌の特集テーマは「クリエイター」である。
エデン・アザールの独占インタビューをはじめパトリック・ウルビニ記者の「今日の10番分析」などに加え、誌面を大きく割いているのが逝去して1年になるヨハン・クライフであった。クライフの影響を受けた14人のキーパースンとともに、ティエリー・マルシャン記者がレポートしているのが、先ごろバルセロナに最後の220面目が完成した「クライフコート(小さめのサッカー場を中心としたスポーツ施設)」に込められたクライフの意志である。
いったいクライフは、クライフコートで何を具現しようとしたのか?
「クライフ・フットボール(アカデミー)」や彼が関わったアヤックスやバルセロナの育成組織とも通底するサッカー哲学とは、いったい何であるのか?
「遊び心と自主性が創造性を育てる」
日本の育成に欠落している視点をクライフが最重要と強調していることに、日本サッカー界は刮目すべきだろう。
監修:田村修一
世界で220面目に完成した「クライフコート」。
今から1年前に逝去したオランダの天才は、その神話を今日も生前と変わらず保ち続けている。彼が遺したものは、学校や公共のピッチ、近親者たちによるアカデミーなどの形で、世界のあらゆる場所に息づいている。
マルトレルはバルセロナの北西約30kmに位置する小さな工業の街である。
カスティージャとカタルーニャが剣をまみえた古戦場として名高いこの街で、2月21日、全世界に220面を造成したクライフコートの落成式が、スシラ・クライフとフリスト・ストイチコフの臨席のもとおこなわれた。
スシラは父ヨハンが創設したクライフ財団の理事長。クライフ監督のもとバルセロナでプレーし'94年のバロンドール受賞者にもなっているストイチコフは、2003年に同様のクライフコートのピッチに、ヨハン・クライフ直々に洗礼盤へ名前を掲げられている(最初のものはアムステルダム近郊のレリスタッドに「アロン・ビンテル・クライフ・フットボール」として建設)。
クライフコートはアメリカ流の言い方をすれば“プレーグラウンド”であり、ベルカンプやロッベン、スナイデル、プジョル、シャビなど過去や現在の偉大な選手の名前を戴き(オランダの場合は毎年のリーグ年間最優秀選手)、ストイチコフもそのひとりであった。