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ベンゲルより、アーセナルが限界?
退任したら高確率でマンUの二の舞か。
text by
田邊雅之Masayuki Tanabe
photograph byAFLO
posted2017/03/13 07:00
「どんなよいことにも、終わりがある ベンゲルよさらば」と書かれたプラカード。カリスマへの愛憎が溢れている。
人間的に真っ当すぎることがネックに?
酷な言い方をすれば、ベンゲル監督の場合は人間的な真っ当さが、ネックになってきた側面もある。彼は、実の親が息子の進路を案ずるように、選手個々のキャリアを守ることに腐心するからだ。チーム事情を後回しにしても、である。
さもなければ'05-'06シーズン以降、ビエラやアンリを始めとする主軸メンバーが毎年のようにクラブを去り、成績も徐々に落ちていくという展開にはならなかったはずだ。2012年の夏には、プレミア得点王に輝いたばかりのファンペルシが、よりによって最大のライバルチーム・ユナイテッドに移籍するという、異様な出来事まで起きている。
アーセナルのサポーターが監督交代を声高に叫ぶのは、この種の不信感も影響している。曰く、監督が変われば戦術も変わるだろうし、選手の補強方針も見直されるかもしれない。いわゆる「勝負弱さ」も、多少なりとも改善される可能性がある。
だが新体制への移行は、巷で考えられているほど簡単な作業ではない。
改革を進めるには誰かが旗振り役を務める必要があるが、ベンゲル監督が身を引けば、クラブが精神的な支柱を失うのは明らかだ。しかもアーセナルは、プレミアのライバルチームに比べて、マネージメントの基盤が必ずしも盤石ではないという火種も燻り続けている。
外資が導入されても、ベンゲルのカリスマが要だった。
もともとアーセナルは、同族経営の形を長い間取ってきた。
この流れが大きく変わったのが1980年代である。後にクラブの副会長になるデイビッド・ディーンが、クラブを仕切っていた一族から親会社の株式を譲り受け、1991年には株式の42%を取得。チームの立て直しとクラブ経営の合理化に奔走し始める。イングランドでは無名の存在だったベンゲルを監督を起用し、見事にアーセナルを再建させたのもディーンだった。
やがてディーンは外資を導入して、経営基盤の強化を目指すようになる。エミレーツ・スタジアムの建設資金をいかにして捻出するかという、大問題がのしかかっていたからだ。
ところがディーンは、外資導入の是非を巡って取締役たちと対立。2007年には副会長を辞任したばかりか、自身が所有していたクラブの株式を売却してしまった。
その後のアーセナルでは、持株の分割が進行していく。現時点ではアメリカ人の実業家であるスタン・クロンケが67%、ロシア人の事業家アリシェル・ウスマロフが30%を保持する形となった。
しかもこの2人は、必ずしも親密な関係を築いているわけではない。それどころか独自の思惑を持ち、潜在的には対立関係にあるとされる。事実、クロンケが2011年にクラブを完全買収する意向を表明したが、逆にウスマロフは少しずつ株式を買い増す行動に出た。昨年、ウスマロフの所有株式が3割に達した際には、アメリカとロシアの富豪の間で主導権争いが勃発するのではないかと報じられたほどだ。
この点でアーセナルは、単一のオーナーが所有するユナイテッドやシティ、チェルシーやリバプールとはっきり一線を画している。
にもかかわらず、今日まで曲がりなりにも安定した運営が続いてきたのは、フランス人監督の求心力とカリスマ性に負うところが大きい。ベンゲル監督にチームの運営を任せるという基本方針に関しては、両者が一致していたからだ。