フランス・フットボール通信BACK NUMBER
マンチェスターの象徴は実はシティ!?
グローバル化で荒む、サッカーの聖地。
posted2017/02/28 11:00
text by
クリストフ・ラルシェChristophe Larcher
photograph by
FRANCK FAUGERE
UEFAチャンピオンズリーグのラウンド16、マンチェスター・シティ対モナコ戦のプレヴューを兼ねて『フランス・フットボール』誌2月14日号では、ユナイテッドとシティ以外のマンチェスター地域のクラブを、クリストフ・ラルシェ記者がレポートしている。そのレポートに続いているのが、歴史家ガリー・ジェームスのインタビューである。
地域のサッカーの成り立ちやふたつのクラブの歴史、現状と問題点などをジェームスは簡潔に語っている。以前に掲載した小説家ニック・ホーンビーのインタビューもそうだったが、プレミアリーグのグローバル化が地域の伝統的なサッカー文化に影響を与え、変質させていることが、このインタビューからも良くわかる。
監修:田村修一
サッカーの聖地、マンチェスターの由来。
マンチェスター・メトロポリタン大学の研究員にして歴史家。『マンチェスター~フットボールヒストリー』の著者であるガリー・ジェームスが、1世紀以上にわたるふたつのビッグクラブの変容を語る。
――マンチェスターとその周辺地域が、どのようにしてイングランドのサッカー発生地になったのでしょうか?
「もともとは19世紀の後半にこの地域でおもにおこなわれていたスポーツはラグビーだったんだよ。1863年のマンチェスターにはサッカークラブはひとつしかなかった。ハルム・アセネウム(Hulme Athenaeum)だ。それから徐々にサッカーが地域に浸透していった。
とりわけボルトンやブラックバーン、プレストン・ノースエンドといったクラブのプロ化が大きかった。
そして1880年代以降、ニュートン・ヒースとアドウィックが生まれた。未来のマンチェスター・ユナイテッドとマンチェスター・シティだ。
シティは1904年のFAカップに優勝した。この勝利に街中が熱狂した。人々が通りに繰り出して、お祭り騒ぎをしたんだ」