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マンチェスターの象徴は実はシティ!?
グローバル化で荒む、サッカーの聖地。
text by
クリストフ・ラルシェChristophe Larcher
photograph byFRANCK FAUGERE
posted2017/02/28 11:00
あるマンチェスター市民の姿。世界中から金持ちのファンが殺到するスタジアムを見て、生粋のマンチェスター市民は今なにを思う……。
マット・バズビーがユナイテッドを変えた!
――当時、ふたつのクラブのライバル関係はどうなっていたのでしょう?
「シティのカップ優勝が、人々の気持ちを盛り上げてひとつにしていたようだ。シティこそがマンチェスターの本物のクラブであり、圧倒的な支持を受けていた。対してユナイテッドは、生き残るための苦しい戦いを強いられた。
今日、ユナイテッドこそがマンチェスターを象徴するクラブだと思っている人たちには驚きかも知れないね。しかしユナイテッドをメジャーなクラブに変えたのは、第2次世界大戦後にスコットランドから来て監督に就任したマット・バスビーだったのだ。
彼の作ったチームはリーグを5回、カップを2度制覇した。そして何よりも“バスビー・ベーブス”と呼ばれた若い世代の選手たちが、観衆を魅了し熱狂させた。
1958年にはミュンヘンの悲劇があったにもかかわらず、クラブはヨーロッパの中で力強く歩み続け、1968年にはチャンピオンズカップに優勝した。同じ年にシティもリーグを制覇した。マンチェスターがイングランドサッカーの中心になったわけだ」
ファーガソン就任時のユナイテッドは暗黒の時代。
――アレックス・ファーガソンの時代(1986~2013)が、その現実をさらに確固たるものにしたといえますか?
「サー・アレックスが監督に就任した当時のイングランドサッカーは、暗黒の時代に入っていた。“フーリガニズム”や人々のサッカー離れ、イギリスの経済危機……。だが、プレミアリーグの創設(1992年)も追い風になって、彼はイングランドサッカーの姿を変えた。
彼を支えたのがマット・バスビーのときと同様に、ベッカムやギグス、スコールズ、ネビル兄弟らの“クラス92”と呼ばれる若い世代だった。
またエリック・カントナという卓越した個性を得たことが転換点となった」