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デルピエロが1996年のユーベを語る。
同僚が次々と名監督に。彼の意思は?
text by
手嶋真彦Masahiko Tejima
photograph byAFLO
posted2017/02/13 16:00
デルピエロを擁して1995-96シーズンのCLを制したが、それ以来優勝から遠ざかるユーベの今季はいかに。
左にデシャン、右がコンテ、中央にソウザ。
アヤックス戦の中盤の配置は左がディディエ・デシャンで、右がコンテ。すでに名将の系譜に連なったと言える教え子の現役時代は、リッピの目にはこう映っていた。
「ピッチの内外でコンテはあの頃から司令官であり、兵士でもあった」
3人目のMFが、中盤の底に入ったパウロ・ソウザだ。時間は少し飛び、1年後の'97年5月28日。ユベントスのCL連覇が懸かった決勝の大舞台で、パウロ・ソウザは違う色のユニフォームを身にまとい、個人的な大会連覇という偉業を成し遂げる。移籍先ボルシア・ドルトムントの一員として大波を起こし、リッピ率いるユベントスを転覆させたのだ。
アヤックスを破った'96年5月22日時点の年齢は、デシャンが27歳、コンテが26歳、パウロ・ソウザが25歳。当時のフランス代表、イタリア代表、ポルトガル代表だ。現役引退の年齢はデシャンが32歳、コンテが34歳、パウロ・ソウザが31歳。
モウリーニョのCL初優勝、相手はデシャンだった。
監督転身後いち早く脚光を浴びたのは、'03-'04シーズンのCLで決勝に駒を進めたデシャンだった。0-3のスコアで敗れたとはいえ、指導者になって3年目の35歳。当時の欧州戦線で伏兵にすぎなかったモナコを率いての準優勝は、リッピの見立て通りだった。
それはそうだとして、こんな想像をしてみたくなる。あの時、優勝監督になっていたのがデシャンのほうだったなら――。モナコと同様のダークホースだったポルトの指揮官として、その大会の頂点を極めたのが41歳のモウリーニョ。その後のサクセスストーリーは、ここで語るまでもない。
監督パウロ・ソウザのハイライトのひとつは、スイスのバーゼルを率いていた'14-'15シーズンのCLだろう。スティーブン・ジェラードが主将を務めていたリバプールを撃破する大金星を収め、ベスト16に勝ち上がったのだ。レアル・マドリーと同じ組に振り分けられたグループステージの突破は、戦前は絶望視されていた。