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デルピエロが1996年のユーベを語る。
同僚が次々と名監督に。彼の意思は?
posted2017/02/13 16:00
text by
手嶋真彦Masahiko Tejima
photograph by
AFLO
「コンテは“マニアカーレ”だな」
取材中のアレッサンドロ・デルピエロは、プレミアリーグを席巻している元チームメイトの指揮官をそう描写した。このイタリア語は、どう訳すべきなのか――。英語に変換するなら「マニアック」となるのだろうが、日本語のしっくりくる訳語がなかなか見つからない。デルピエロはこう続けた。
「勝利に取り憑かれているよ。コンテも、他のあらゆる勝利者たちと同じようにね」
アントニオ・コンテが生きているのは、シビアな弱肉強食の世界だ。覇権を争うライバルの監督たちをご覧あれ。歴史に名を残すタイトルホルダーが、ジョゼップ・グアルディオラ(マンチェスター・シティ)とジョゼ・モウリーニョ(マンチェスター・ユナイテッド)。この両雄としのぎを削るだけで果てしなく難儀なはずなのに、さらにアーセン・ベンゲル(アーセナル)、ユルゲン・クロップ(リバプール)、マウリシオ・ポチェッティーノ(トッテナム)など策士や曲者がずらり。
そんな過酷きわまりないプレミアリーグでのチェルシーの首位独走は、指揮官が極め付きの“マニアカーレ”だからと、そんな解釈もできるのではないか。コンテに向けたデルピエロのその賛辞を、ここでは思い切って「フットボールに全てを捧げるワーカホリック」と訳しておこう。
ユーベの中盤3人が、揃ってトップ監督になった。
取材の最大の目的は1995-96シーズンのCL決勝だった。当時21歳のファンタジスタを擁するユベントスが、オランダのアヤックスをPK戦の末に下し、通算2度目の大会制覇を果たした大一番を、デルピエロ自身に回想してもらう。
決勝は'96年5月22日。あの時、誰が想像しただろうか。ユベントスの中盤を構成した3人のMF全員が、21年後の現在、揃いも揃ってトップレベルの監督になっているとは――。
その3人を先発メンバーに指名し、CLの優勝監督となったマルチェロ・リッピは、'15年12月のとあるインタビューで次のように振り返っている。
「ユーベで指導した選手で、いずれ偉大な監督になっていると私が睨んでいたのは、唯一デシャンだけだった。ピッチ上での職務の果たし方からも、私との関わり方で判断しても」